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傾く日
かたむくひ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十八巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日
初出「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房、1953(昭和28)年1月
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2004-04-28 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

             ○
 十一月になり、自分の心には、林町とああ云う関係にあると云うことが、次第に苦しい意識となって来た。九月の二十九日の夜、母上が、当分会うまいと云われた時、随分自分は苦しく思い涙を流した。けれども、その心持は今とは異う。あの時、自分には、其那ことが如何にも詰らない、不合理なことに思えたのだ。直接の原因は、太陽に書いた小説が母上の感情を害したと云えるかもしれないが、左様な決心を彼女にさせたものは、単に彼の小説一つ位のものではない。Aが気に入らないのだ。気に入らないと云うことを知って、子供らしくそれを取除こうと努力する気になれないAの心持が、彼女を我慢させなかったのだ。それにしても、私共に会わないことが、どうして事態をよくして行くだろう。
 会わない、見ない、と云うことが、何も私共が母娘であり、Aと自分とが夫妻であると云う事実に変更を与えるものではない。其那ことをし、故意に生活に強制した一点を作るより、互に理解しようと努力し、友情で団結して行く気に、どうしてなれないのかと、自分は、自分の心持より、寧ろ、母上とAとの心持を恐れ悲しんで歎いたのであった。
 あの時、自分は、若しそうしなければならないのならば、我慢する。此程のことを、無益に過させたり、其裡から、何か自分を養てるものを見出さないような自分では真逆なかろうから、と云った。実際、左様やって一月でも二月でも会わず、互に遠くから静かに互のことを思ったら、必ずよりよい理解が湧くに相異ない。良人に愛され、母に愛され、その地上的愛の葛藤に苦しむよりは、相方が或強制を以て、人生を眺める方が、人格が深まるのかもしれないと云うような、稍々利己的な積極的解釈さえ加えて居たのである。
 けれども、近頃、自分の心は、林町のことを思うと、暗く、淋しく沈むのを覚える。
 母上は、其後の自分の心持の変化については、一言も書いて下さらない。AはAで、自分から頭を下げて謝すべき理由は見出さないと確信する。一月の時日の間に、彼等の間には何の流動、何の心的交通も開けては居ないのである。どうして其ですんで行くだろう、此が一年続いても、二年続いても、彼等は平気なのだろうか、恐ろしくなる。
 私と云うものを挾んで相対する彼等は、私に対してはどちらも、愛に充ち輝いた笑顔を向けて呉れるのだ。然し、私が一歩傍へのいたら、彼等は、どちらも、理解されないまま、開かれない扉に面して生活して行く可能が明かなのである。
 私だけが、母上との間を又元の円らかさに返したとて、結局どうなるだろう。何も改善されない。又、元のいつでも争いを起し得る固執状態が帰って来る。
 来年の新年を、林町へ「お目出とう」を云いに行くことも出来ないのかと云う予想は、自分に涙を浮ばせずには置かないのである。
 自分に生活の、愛の確信があり、自分と彼女との性格的差異を…

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