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二つの家を繋ぐ回想
ふたつのいえをつなぐかいそう
作品ID4176
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十八巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日
初出「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社、1981(昭和56)年5月30日
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2004-04-28 / 2014-09-18
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 厭だ厭だと思い乍ら、吉祥寺前の家には、一年と四ヵ月程住んだ。あの家でも、いろいろな事に遭遇した。此の家に移ってからも、二月と経たないうちに、上野で平和博覧会が開かれた。続いて又、プリンス・オブ・ウェルスが四月十二日に来朝される。――
 福井から、Aの父が、一遍は我々の家に来て見たい希望のあることは、去年から知られて居た。丁度五月頃、自分が開成山に行って居る時、Aは、独りで寂しいから、来られませんかと云ってあげたのだそうだ。自分は其を知らず、一ヵ月許りの独居から戻って来た。Aは、直ぐ先方に断りを出した。切角決心をし、どんな鞄を持って行こうなどとさえ相談を始められたのに中止したと、夏休みに行って、始めて聴いたのであった。
 自分の為に、きっさきを折られて、折角の楽しい予想が裏切られたかと思うと、私は、七十になった老父の為に相すまなく感じた。
 十六年も別れて居た息子だ。生きて居るうちに、又とは会われまいと覚悟さえした息子だ。其が、思いがけない時に戻って来た許りでなく、東京で、地方人の心で云えば、立派に生活して居ることを思えば、一度は其有様を眼に見たいのは無理もない。
 今年の春休こそは、呼んで上げよう。それ迄に、どうか云うことはないように。自分は冬の中から願って居たのである。
 二月に引越せたと云うことは其為にも都合がよかった。三月に入るとすぐ、自分達の心構えを知らせ、上京を促した。私は、悦ばしく、自分の出来る限りを尽す気持で、派手になった十七八頃の銘仙衣類等を解いて、彼の使うべき夜着になおしたり何かした。
 彼も来られると云う。四月の始め迄居る積りで、三月の二十日以後に此方は出発しようと云って来た。それ等のことで仕事が出来なくなるのは眼に見えて居る。然し、自分にとって、今度、彼を迎えると云うことは、其不快以上の歓びと感じられた。自分は、それ迄にと思って、約束のある原稿は書き、心をからにして、老人を迎える仕度にかかったのである。
 処が、生憎、三月に入ると、とり(女中)の娘が病気にかかって、家に居られないことになった。
 上の娘は、三輪の郵便局の細君になって居る。二女が二十一二で、浜田病院に産婆の稽古をして居る。うちにもちょくちょく遊びに来る、色白な、下膨れの一寸愛らしい娘であった。先頃、学校を出たまま何処に居るか、行方が不明になったと云って、夜中大騒ぎをしたことがある。それも、病気を苦にして、休みたかったのだったそうだが、今度は、愈々腹膜になって、ひどい苦しみようだと云うのである。
 朝から様子を見に行って居たとりが
「奥様、もう駄目でございますのよ!」
と云い乍ら、顔をかえて水口から入って来た時、自分は、ぎょっとした。
 彼女の息子二人は、結核で死んで居る。又、今度も! と云う感じが、忽ち矢のように心を走ったのである。
 生きるか死ぬか、母娘諸共と云うよう…

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