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老主の一時期
ろうしゅのいちじき
作品ID4181
著者岡本 かの子
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成10 岡本かの子」 国書刊行会
1992(平成4)年1月23日
入力者門田裕志
校正者湯地光弘
公開 / 更新2005-03-24 / 2016-01-16
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「お旦那の眼の色が、このごろめつきり鈍つて来たぞ。」
 店の小僧や番頭が、主人宗右衛門のこんな陰口を囁き合ふやうになつた。宗右衛門の広大な屋敷内に、いろは番号で幾十戸前の商品倉が建て連ねてある。そのひとつひとつを数人宛でかためて居る番頭や小僧の総数は百人以上であつた。その多人数の何処か一角から起つたひとつの話題が、全体へ行き渡るまでには余程の時間がかゝる。そしてその話題によほどの確実性と普遍性がなければ、多くはある一角、または半数、三分の一くらゐなところで、いつも立ち消えになつてしまふ。宗右衛門のこの噂は、いつ、どの辺から起つたのか、どれだけの時間を経て屋敷全体に拡がつたものか判らないが、兎に角今までにない確実性と普遍性とを持つてゐる。その上一同の者に、これほど直接に関係する話題はなかつた。
 山城屋宗右衛門のその一瞥で、屋敷の隅々までも見透すほどの鋭い眼光は、彼が江戸諸大名の御用商人として、一代に巨万の富をかち得た偉れた彼の商魂によつて磨き出されたものである。彼が次第に老齢を加へて来ても、容易に衰へなかつたその眼光が、にはかに鈍つた原因として誰も否定し得ない出来事――山城屋の家庭の幸福を根こそぎ抜き散らしてしまつた悲惨な出来事が、最近突然山城屋へ現はれた。
 宗右衛門に二人の娘があつた。上のお小夜は楓のやうな淋しさのなかに、どこか艶めかしさを秘めてゐた。妹のお里はどこまでも派手であでやかであつた。宗右衛門の幸福は、巨万の富を一代にかち得たばかりで満足出来なくて、あの春秋を一時にあつめた美貌を二人まで持つたと人々は羨んだ。その二人の娘が――お小夜は十九、お里は十七になつたばかりの今年の春、激しい急性のリヨーマチで、二人が二人とも前後して、俄跛になつてしまつた。人々の驚き、まして宗右衛門夫婦にとつては、驚き以上の驚きであり、悲しみ以上の悲しみであつた。妻のお辻はそれがため持病の心臓病を俄かに重らして死んで行つた。お辻は宗右衛門に添つて三十年、宗右衛門の頑強と鋭才との下をくゞつて、よく忍従に生きて来た。お辻は一日に三度か、四度侍女や乳母にかしづかれる愛娘達の部屋を覗くばかりが楽しみで、だまつて奉公人と共に働いて、別に人から好いとも悪いとも、批判されるほど目立ちもしない性分であつた。が、支へを失つた巨木のやうに、宗右衛門はがつかりとお辻の死顔の前へ座り込んでしまつたのである。俄跛の姉妹のことを呉れ/″\も夫にたのんで逝つたお辻の死顔の蒼ざめた萎びた頬――お辻は五十で死んだのである。
 五月下旬の或る曇日の午後、山城屋の旦那寺の泰松寺でお辻の葬儀が営まれた。宗右衛門は一番々頭の清之助や親類の男達に衛られながら葬列の中ほどを練つて歩いた。
 今、お辻の寝棺が悠々と泰松寺の山門――山城屋宗右衛門の老来の虚栄心が、ひそかに一郷の聳目を期待して彼の富の過剰を形の上に持ち来ら…

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