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夏の夜の夢
なつのよのゆめ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成10 岡本かの子」 国書刊行会
1992(平成4)年1月23日
初出「文芸」1937(昭和12)年7月
入力者門田裕志
校正者湯地光弘
公開 / 更新2005-03-24 / 2016-01-16
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 月の出の間もない夜更けである。暗さが弛んで、また宵が来たやうなうら懐かしい気持ちをさせる。歳子は落付いてはゐられない愉しい不安に誘はれて内玄関から外へ出た。
「また出かけるのかね、今夜も。――もう気持をうち切つたらどうだい。」
 洋館の二階の書斎でまだ勉強してゐた兄が、歳子の足音を聞きつけて、さういつた。
 窓硝子に映る電気スタンドの円いシエードが少しも動揺しないところを見ると、兄は口だけでさういつて腰を上げてまで止めに出ては来ないらしい。
「ええ、もう今夜たつた一晩だけ――ですから心配しないで、兄さんもご自分の勉強をなさつて……。」
 歳子は自分の好奇な行為だけを云はれるのに返事をすればたくさんなのに、兄の勉強のことにまで口走つてしまつたので、すこし云ひ過ぎたかと思つたのに、兄は「うむ、さうか」と温順しく返事をしたので、却つて気が痛みかけた。
「兄さん、棕櫚の花が咲いてますのよ。葉の下の梢に房のやうに沢山。あたし何だか、ぽち/\冷たい小粒のものが顔に当るので雨かしらと思ひましたらね、花が零れるのですわ。」
 兄の気持ちを取做し気味に、歳子はあどけなくかう云つた。すると兄はすつかり気嫌よく、
「棕櫚の花が咲いたか。ぢや、下を見てご覧、粟を撒いたやうに綺麗に零れてゐるよ。」と云つた。
 歳子は跼つて、掌で地をそつと撫でて見た。掌の柔い肉附きに、さら/\とした砂のやうな花の粒が、一重に薄く触れた。それは爽かな感触だが、まだ生の湿り気を持つて、情味もあつた。かの女は「闇中に金屑を踏む」といふ東洋の哲人の綺麗な詩句を思ひ出し、秘密で高踏的な気持ちで、粒々の花の撒ものを踏み越した。そして葉の緻密な紫[#挿絵]のアーチを抜けた。歳子は今夜あたりの自分は、兄ともまた自分の婚約の良人とも、まるで縁のない人間のやうに思へた。


 歳子の兄の曾我弥一郎と、歳子の婚約者の静間勇吉とは橋梁と建築との専門の違ひはあるが、同じ大学の工科の出身で、永らく欧洲に留学してゐた。文化人とは恐らくこの二壮年などをいふのであらう。彼等は近代の文化人とはあまりに知性が冴え返るその寂しさと、退屈をいつも事務か娯楽で紛らしてゐなければならないといふことを十分承知して、そして実際それをやつてゐるほどの文化人だつた。
 帰朝後はいよ/\交際を密接にした弥一郎と勇吉とは、寵愛してゐるパイプ――ネクタイピン――卓上の一枝の花――を一方は割愛し、一方は愛用し始めるといつた無雑作な調子で、兄はその友人と自分の妹の婚約を取計つた。もつとも、二人の男同志の間には、歳子をよその人間には遣り度くない愛惜があつた。兄は折角素直に生ひ立つた妹の愛すべき性格を知らない他人に、猥りに逆撫でさせたくないといふ真意から、また勇吉は自分が自分とはまつたく性格の反対なこのナイーヴなロマン性の娘を兄に代つて護り育てられる資格と自信を持つ…

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