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上田秋成の晩年
うえだあきなりのばんねん
作品ID4187
著者岡本 かの子
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成10 岡本かの子」 国書刊行会
1992(平成4)年1月23日
初出「文学界」1935(昭和10)年8月
入力者門田裕志
校正者湯地光弘
公開 / 更新2005-03-24 / 2016-01-16
長さの目安約 37 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 文化三年の春、全く孤独になつた七十三の翁、上田秋成は京都南禅寺内の元の庵居の跡に間に合せの小庵を作つて、老残の身を投げ込んだ。
 孤独と云つても、このくらゐ徹底した孤独はなかつた。七年前三十八年連れ添つた妻の瑚[#挿絵]尼と死に別れてから身内のものは一人も無かつた。友だちや門弟もすこしはあつたが、表では体裁のいいつきあひはするものの、心は許せなかつた。それさへ近来は一人も来なくなつた。いくらからかひ半分にこの皮肉で頑固なおやぢを味ひに来る連中でも、ほとんど盲目に近くなつたおいぼれをいぢるのは骨も折れ、またあまり殺生にも思へるからであらう。秋成自身も命数のあまる処を観念して、すつかり投げた気持になつてしまつた。
 文化五年死の前の年の執筆になる胆大小心録の中にかう書いてゐる。
 もう何も出来ぬ故、煎茶を呑んで死をきはめてゐる事ぢや――
 小庵を作るときにも人間の住宅に対する最後の理想はあつた。それはわづか八畳の家でよかつた。その八畳のなかの四畳を起き臥しの場所にして、左右二畳づつに生活の道具を置く。机は東側の[#挿絵]下に持つて行き、そばに炉を切り、まはりの置きもの棚に米醤油など一切飲み食ひの品をまとめて置く。西の端の一畳分の上に梅花の紙帳を釣り下げ、その中に布団から、脱ぎ捨てた着物やらを抛り込んで置く。夏の暑さのために縁の外の葦竹、冬の嵐気を防ぐために壁の外に積む柴薪――人間が最少限の経費で営み得られる便利で実質的な快適生活を老年の秋成はこまごまと考へて居た。しかし、その程度の費用さへ彼は弁じ兼ねた。やむを得ず建てたところのものは、まつたく話にもならぬほんの間に合せの小屋に過ぎなかつた。彼は投げた気持の中にも怒りを催さないでは居られなかつた。――七十年も生きた末がこれか、と。しかし、すぐにその怒りを宥めて掌の中に転して見る、やぶれかぶれの風流気が彼の心の一隅から頭を擡げた。彼は僅かばかりの荷物のなかを掻き廻して、よれた麻の垂簾を探し出した。垂簾には潤ひのある字で『鶉居』と書いてあつた。彼はその垂簾の皺をのばして、小屋の軒にかけた。
 彼は十七八年前、五十五歳のときに家族と長柄川のそばに住んで居たことがあつた。長柄の浜松がかすかに眺められ、隣の神社の森の蔭になつてゐて気に入つた住家だつた。彼はその時、家族を背負つたまま十数度も京摂の間に転宅して廻つたので、住家の安定といふことには自信が無くなつてゐた。自信を失ひながらなほ安定した気持になりたかつたので、その垂簾を軒にかけたのだつた。『鶉居』と書いたのは鶉は常居なし、といふいひ慣しから思ひついた庵号だつた。
 さうした字のある垂簾をかけた小さい自分の家を外へ出て顧りみると、世界にたつた一つ住み当てた自分の家といふ気がして、そのとき、もはや老年にいりかけて居た彼は、こどものやうになつて悦んだ。しかし、その悦びも大…

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