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蔦の門
つたのもん
作品ID4194
著者岡本 かの子
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成10 岡本かの子」 国書刊行会
1992(平成4)年1月23日
初出「むらさき」1938(昭和13)年1月
入力者門田裕志
校正者湯地光弘
公開 / 更新2005-03-24 / 2016-01-16
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私の住む家の門には不思議に蔦がある。今の家もさうであるし、越して来る前の芝、白金の家もさうであつた。もつともその前の芝、今里の家と、青山南町の家とには無かつたが、その前にゐた青山隠田の家には矢張り蔦があつた。都会の西、南部、赤坂と芝とを住み歴る数回のうちに三ヶ所もそれがあるとすれば、蔦の門には余程縁のある私である。
 目慣れてしまへば何ともなく、門の扉の頂より表と裏に振り分けて、若人の濡れ髪を干すやうに閂の辺まで鬱蒼と覆ひ掛り垂れ下る蔓葉の盛りを見て、たゞ涼しくも茂るよと感ずるのみであるが、たま/\家族と同伴して外に出で立つとき誰かゞ支度が遅く、自分ばかり先立つて玄関の石畳に立ちあぐむときなどは、焦立つ気持ちをこの葉の茂りに刺し込んで、強ひて蔦の門の偶然に就いて考へてみることもある。
 結局、表扉を開いて出入りを激しくする職業の家なら、たとへ蔦の根はあつても生え拡がるまいし、自然の做すまゝを寛容する嗜癖の家族でなければかういふ状態を許すまい。蔦の門には偶然に加ふるに多少必然の理由はあるのだらうか――この私の自問に答へは甚だ平凡だつたが、しかし、表門を蔦の成長の棚床に閉ぢ与へて、人間は傍の小さい潜門から世を忍ぶものゝやうに不自由勝ちに出入するわが家のものは、無意識にもせよ、この質素な蔦を真実愛してゐるのだつた。ひよつとすると、移転の必要あるたび、次の家の探し方に門に蔦のある家を私たちは黙契のうちに条件に入れて探してゐたのかも知れない。さう思ふと、蔦なき門の家に住んでゐたときの家の出入りを憶ひ返し、丁度女が額の真廂をむきつけに電燈の光で射向けられるやうな寂しくも気うとい感じがした。そして、従来の経験に依ると、さういふ家には永く住みつかなかつたやうである。
 夏の葉盛りには鬱青の石壁にも譬へられるほど、蔦はその肥大な葉を鱗状に積み合せて門を埋めた。秋より初冬にかけては、金朱のいろの錦の蓑をかけ連ねたやうに美しくなつた。霜の下りる朝毎に黄葉朽葉を増し、風もなきに、かつ散る。冬は繊細執拗に編み交り、捲いては縒れ戻る枝や蔓枝だけが残り、原始時代の大匍足類の神経か骨が渇化して跡をとゞめてゐるやうで、節々に吸盤らしい刺立ちもあり、私の皮膚を寒気立たした。しかし見方によつては鋼の螺線で作つたルネサンス式の図案様式の扉にも思へた。
 蔦を見て楽しく爽かな気持ちをするのは新緑の時分だつた。透き通る様な青い若葉が門扉の上から雨後の新滝のやうに流れ降り、その萌黄いろから出る石竹色の蔓尖の茎や芽は、われ勝ちに門扉の板の空所を匍ひ取らうとする。伸びる勢の不揃ひなところが自由で、稚く、愛らしかつた。この点では芝、白金の家の敷地の地味はもつともこの種の蔓の木によかつたらしく、柔かく肥つた若葉が無数に蔓で絡まり合ひ、一握りづつの房になつて長短を競はせて門扉にかゝつた。
「まるで私たちが昔かけ…

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