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巴里祭
パリさい
作品ID4196
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「巴里祭・河明り」 講談社文芸文庫、講談社
1992(平成4)年10月10日
入力者門田裕志
校正者土屋隆
公開 / 更新2005-07-14 / 2016-01-16
長さの目安約 62 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 彼等自らうら淋しく追放人といっている巴里幾年もの滞在外国人がある。初めはラテン区が彼等の巣窟だったが、次にモンマルトルに移り、今ではモンパルナッスが中心地となっている。
――六月三十日より前に巴里を去るのも阿呆、六月三十日より後に巴里に居残るのも阿呆。」
 これは追放人等の口から口に伝えられている諺である。つまり六月一ぱいまでは何かと言いながら年中行事の催物が続き、まだ巴里に実がある。此の後は季節が海岸の避暑地に移って巴里は殻になる。折角今年流行の夏帽子も冠ってその甲斐はない。彼等は伊達に就いても効果の無いことは互にいましめ合う。
 淀嶋新吉は滞在邦人の中でも追放人の方である。だが自分でそう呼ぶことすらもう月並の嫌味を感じるくらい巴里の水になずんでしまった。いわゆる「川向う」の流行の繁華区域は、皮膚にさえもうるさく感じるようになって、僅かばかりの家財を自動車で自分で運び、グルネルの橋を渡り、妾町と言われているパッシイ区のモツアルト街に引移った。それも四年程前である。彼の借りた家の塀には隣の女服装家ベッシェール夫人の家の金鎖草が丈の高い木蔓を分けて年々に黄色に咲く。
――今年の夏は十三日間おれは阿呆になる積りだ。」
 新吉は訊かれる人があればそう答えた。諺を知っている追放人仲間は成程彼が珍らしく七月十四日のキャトールズ・ジュイエの祭まで土地に居残るつもりだなと簡単に合点した。諺をまだ知らない同国人の留学生等には彼の方から単純に説明した。
――今年はひとつ巴里祭を見る積りです。」
 彼は彼が十五年前に恋したまゝで逢えなかったカテリイヌが此頃巴里の何処かに居ると噂に聞き、そのカテリイヌを、夏に居残る巴里人の殆ど全部が街へ出て騒ぐ巴里祭の混雑のなかで見付けようとする、彼の夢のような覚束ない計画などは誰にも言わなかった。
 新吉が日本へ若い妻を残して、此の都へ来たのは十六年前である。マロニエの花とはどれかと訊いて、街路樹の黒く茂った葉の中に、蝋燭を束ねて立てたような白いほの/″\とした花を指さゝれた。音に聞くシャン・ゼリゼーの通りが余りに広漠として何処に風流街の趣きがあるのか歯痒ゆく思えた。一箇月、食事附百フランで置いて貰った家庭旅宿から毎日地図を頼りにぼつ/\要所を見物して歩いているうちに新吉にとっては最初の巴里祭が来てしまった。町は軒並に旗と紐と提灯で飾られた。道の四辻には楽隊の飾屋台が出来、人々は其のまわりで見付け次第の相手を捉えて踊り狂った。一曲済むまでは往来の人も車も立止まって待っていた。新吉はさすが熱狂性の強い巴里人の祭だと感心したが、それと同時に自分もいつか誘い込まれはしないかと、胸をわく/\させ踊りの渦のところは一々避けて遠くを通った。
 一年足らずのうちに新吉はすっかり巴里に馴染んでしまった。巴里は遂に新吉に故郷東京を忘れさせ今日の追放人にするまで…

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