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余録(一九二四年より)
よろく(せんきゅうひゃくにじゅうよねんより)
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十八巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日
初出「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社、1981(昭和56)年5月30日
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2004-05-04 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     余録

 菅公を讒言して太宰の権帥にした、基経の大臣の太郎、左大臣時平は、悪逆無道の大男のように思われて居る。
 小学歴史で読んだ時から、清くやせた菅原道真に対して、グロテスクな四十男が想像されて居た。ところが、実際はそうでなかったらしい。寧ろひどく偏狭な、神経質な、左大臣の官服の下に猿のような体のあることを想わせる男ではなかったた。小さく窪んだ二つの眼を賤しく左右に配って、せかせか早口な物の云いようをしたようにも想われる。
 彼の住居は八條にあった。内裏までかなり遠い。冬だと、彼はその道中に、餅の大きなの一つ、小さいのを二つ焼いて、温石のように体につけて持って行った。京の風に、焼いた餅はいくばくもなくさめる。ぬるくなると、彼は、小さい餅なら一つずつ、大きなのは半分にして、車の簾越しに投げ与えて通った。当時有名であったらしい。
 彼の性格の一面が現れ、私には非常に面白く感じられた。
 醍醐帝の延喜年間、西暦十世紀頃、京の都大路を、此那実際家、ゆとりのない心持の貴族が通って居たと思うと、或微笑を禁じ得ないではないか。
 彼は又、薬師経を枕元で読ませて居た時、軍[#挿絵]羅大将とよみあげたのを、我を縊ると読みあげたと勘違いして卒倒した男だ。
 笑い出すとだらしなくはめを脱した事。横車を押し意だけ高に何かを罵って居た時、才覚のある者が、ふみばさみに文をはさんで、これを大臣に奉ると云って擬勢を示したら、
「大臣ふみもえとらず、手わななきてやがて笑ひて、今日は術なし、右の大臣にまかせ申すとだにいひやり給はざりければ々々」
と大鏡の筆者は記して居る。手を震わせつつにやにやとした時平の蒼白く、頬の肉薄き笑いが目に見えるようだ。僅三十九で死んだ。延喜九年己巳四月四日。

     道長の出世の原因

 藤原為業は明晰な、而して皮肉な頭の男であったらしい。望月の欠くるところなきを我世と観じた道長の栄華のそもそもの原因を斯う云って居る。
 二十三で権中納言、二十七で従二位中宮太夫となった道長は、三十歳の長徳元年、左近衛の大将を兼ねるようになったが、その前後に、大臣公卿が夥しく没した。その年のうちにも三月二十八日に閑院大納言、四月十日には中関白。小一條左大将済時卿は四月二十三日、六條左大臣、粟田右大臣、桃園中納言保光卿は、三人とも五月八日一度に死んだ。山井大納言は六月十一日に亡き人となった。斯那ことは又となかろう。大臣公卿が七八人、二三月のうちにかき払われて仕舞うことは稀有な出来事と謂うべきである。
 これが道長の運命に大きな変化を与えた。
 前述の先輩達が順当に長寿したら、道長とてもあの目覚しい栄達は出来なかったであろう。それを、嗣ぐべき人が相ついで世を去った為道長は、あさましく夢なのどのようにとりあえず、なったのだ。と。


 短い小説を書こうとして居るのに、どうし…

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