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貝殻追放
かいがらついほう
副題004 「幻の絵馬」の作者
004 「まぼろしのえま」のさくしゃ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「水上瀧太郎全集 九卷」 岩波書店
1940(昭和15)年12月15日
初出「中央文學」1917(大正6年)5月号
入力者柳田節
校正者門田裕志
公開 / 更新2004-12-24 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




「幻の繪馬」讀後の感想是非とも申述度存居候ひし處、先頃來健康勝れず臥床勝にて到底期日迄に書上げ候事覺束なく被存候まゝ、乍殘念今囘は御斷り申上候。事情右の如くに候間不惡思召被下度候。
 今日小説の作家その數極めて多しと雖古典として作品の千歳に殘るべき人は僅かに二三人にとどまる事と存候が、泉鏡花先生の御作のみは何時の世に至りても紫式部清少納言近松西鶴等の作品と共に不朽なるべき事些も疑ひ無之候。
 乍併先生の御作の尊きはその豐富なる想像によりて編まれたる變化極まり無き物語の筋にはあらず、その色彩に富む繪畫的文章の妙にもあらず、實に先生の描き出す作中の人々の持つ人間至純の感情に他ならず候。換言すれば先生御自身の純粹なる感情の故に御座候。
 傳へ聞くところによれば故夏目漱石先生は現代作家中の第一人者として泉先生を擧げたる由。天才は天才によりてのみ眞に理解せらるといふ誰やらの言葉も思ひ出られ候。世の文學愛好者は黨同伐異を事とし、又は鈍感にして天才を理解し得ざる群小批評家の言に迷はさるる事無く、偏見を捨てて此の大作家の作品を三讀すべきものと存候。先生の如き偉大なる藝術家と同時代に呼吸する事を思ふのみにても吾等生甲斐ある心地致候。
 今年正月の「早稻田文學」に西宮藤朝なる人「泉鏡花論」を發表し、此作者の過去に於て同情あり理解ある批評家を有せざりし事を繰返し遺憾としたるが、扨て御當人は如何といふに之亦全く無理解にて、「辰巳巷談」の梗概を述べお君がいい人鼎を沖津に寢取られたりとなせるが如き言語道斷の誤あり、研究の不備か生來のぼんくらか、人をして惡批評家の横行を憎ましむるもの有之候ひき。
「幻の繪馬」讀後の感想認め兼候お斷りを述ぶるつもりにて床上筆を執りつゝ少々氣焔をあげ申候。發熱せざれば幸甚に御座候。(大正六年三月十五日夜)
――「中央文學」大正六年五月號



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