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貝殻追放
かいがらついほう
副題008 「その春の頃」の序
008 「そのはるのころ」のじょ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「水上瀧太郎全集 九卷」 岩波書店
1940(昭和15)年12月15日
初出「三田文學」1918(大正7)年8月号
入力者柳田節
校正者門田裕志
公開 / 更新2005-02-22 / 2014-09-18
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 自分の第二小説集「その春の頃」は、大正元年の秋自分が渡米した後で、第一集「處女作」に續いて突然出版の運びになつた。第二集の爲めにと思つて書いた序文は間に合はなかつたので、その儘机の抽出にしまはれてしまつた。此頃、夥しい書きかけの原稿の整理をしてゐると、その序文が皺くちやになつて出て來た。讀みかへして見ると或時代の自分の心持が蘇生して來て、裂いて捨てるのは殘り惜しく思はれるので、清書して世に出す事にした。もとより今の自分から考へると、削り度い箇所も多いのであるが、全體に漲る若々しい詠嘆的なところがわれながら懷しいので、わざと一字の増減もしない事にきめてしまつた。(大正七年六月十八日)

 わが父母人にすぐれて行ひ正しくおはせば、我が家は世に勝れて良き家なる事をわれ曾て些かも疑ひし事なし。
 わが家は富み、わが父母限り無くわれをいつくしみ給へば、われ未だ曾て食ふべき物、住むべき家、着るべき衣服の乏しさを思ひし事なし。
 されど何故か予は物心覺えし日より、わが我儘なる心に常に何をか求め憧れつつ遣瀬なき念ひ束の間も忘るることなく、曉は曉の、夕暮は夕暮の悲しさに堪へず、此の念ひ消えぬ苦しさに惱みては、遂に安價なる冷笑と卑怯なる皮肉のかげに、ふてくされたる安住を見出さんとするに至りしが、しかも我が心はなほ其處に安らかに眠る事能はざりき。
 わが心、何を求め何に憧るるや、われ自らもわき難きを、われ自らにあらぬ人の父母なりとていかで知り得ん。我が父母はただ只管に限り無くわれを愛でいつくしみ給ひき。
 われ常にこれを想ふ毎に、父母の慈愛の深ければ深き程、解き難き心の苦しさに頭痛みて堪へ難き心地す。

 われは我が父を父とし母を母として生れし事を何人に對しても憚る事なく誇らんとす。
 我が父はわれ等はらからに對して曾て一度も怒り罵りし事なく、すべてをわれ等が思ひのままに任されたれば、われ等父をおそるる心を知らで過ぎにき。これわが殊にありがたく思へるところなり。
 わがはらからは皆賢くおとなしかりしにわれ一人父母の良き教にそむく事多かりしが、しかも我が父はわが罪を一度も責め給ひし事なし。われはわが無邪氣にしていたづらなりし少年の日に、疳のたかぶりては父母にさへ屡々拳を振り上げて立ちむかひし事を、深き悔恨と共に忘るる事能はず。さる折にもわが父は靜かに我が亂暴を看守りて居給ひしのみ、彼の世の中の父親がその子の惡行を矯めんとてうち打擲するが如き事は、予の曾て我が家に見たる事なきところなり。
 我が母の誰人に對しても優しくおもひやり深き事は、我が母を知る人の誰しもいなまぬところなる事をわれ亦信じて疑はず。
 おもひやり深き母は自らの事と他人の事とのわかちなく、世の事人の身の上の事に就きて、共に喜び共に憂ひ共になげき共に悲しみ給ひき。われは我が母の涙を見たる事あれども怒れる聲を聞きし事無…

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