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神田を散歩して
かんだをさんぽして
作品ID42148
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第三巻」 岩波書店
1960(昭和35)年12月7日
初出「解放」1922(大正11)年8月
入力者Cyobirin
校正者佳代子
公開 / 更新2003-11-20 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 あるきわめて蒸し暑い日の夕方であった。神田を散歩した後に須田町で電車を待ち合わせながら、見るともなくあの広瀬中佐の銅像を見上げていた時に、不意に、どこからともなく私の頭の中へ「宣伝」という文字が浮き上がって来た。
 それはどういうわけであったかよくわからない。その日は特別な「何々デー」というのでもなかったし、途中で宣伝の行列や自動車に出会った覚えもない。おそらく途中の本屋の店先かあるいは電柱のビラ紙かで、ちらと無意識に瞥見したかあるいは思い浮かべたこの文字が、識域のつい下の所に隠れていて、それが、この時急に飛び出して来たのかもしれないと思う。もっともそれにしたところで、広瀬中佐の銅像を見ていたという事が、どういう機縁になってこれが呼び出される手続きになったのか、これに関する筋の立った説明はなかなか簡単でないように思われる。
 それはとにかく、私はその待ちおおせて乗った電車の上で、この「宣伝」という文字について取り止めないいろいろの事を考えてみた。しかしその時はそれきりで、何を考えたという事さえ忘れてしまっていたが、その後二三日たったある日の夕方、駿河台下まで散歩していた時に、とある屋根の上に明滅している仁丹の広告を見るとまた突然この同じ文字が頭の中に照らし出された。あの広告のイルミネーションが、せわしなくまたたきをするたびに色がぱっぱっと変わる、そのように私の頭の中でもいろいろの考えがまたたくように明滅した。
 そこから帰る電車の中で、またこのあいだと同じようなまとまりのつかない考えを繰り返した。繰り返している間には、いくらかこのあいだとはちがった向きへも考えが分かれて進んで行った。それで結局は、何も別段得る物はなかったのであるが、でもせっかく考えた事だからと思って、ノートの端に書き止めておいた。その中のおもな事を改めてここに清書しておきたいと思う。

 宣伝という文字自身には元来別にそう押しつけがましい意味はなくてもよいように思う。道や教えを宣べ伝えるという事は、取りようではたいへん穏やかな仕事のように思われる。しかし同じ事でもプロパガンダというとなんだか少し穏やかでないような気持ちがする。これは単にこの言葉の特殊の音響から来る感じなのかもしれない。
 一般的に宣伝というものの手段方法が必ずしも穏やかで物静かであってはいけないという事は考えられない。昔の宗教家や聖賢の宣伝にはかなり平和的なのもあったように思われる。しかし今日の「宣伝」という言葉には、まさにそれとは反対な余味があり残味がある。最も平和的なのでも楽隊入りの行列や、旗を立てた自動車や往来人の鼻の先にさしつけられる印刷物や、そういう種類のものがいつでも連想される。もっと穏やかでないものならいくらでもあることは言うまでもない。今日のような世の中ではこういう方法を取るよりほかにしかたがないというとこ…

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