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温泉雑記
おんせんざっき
作品ID42150
著者浜田 青陵
文字遣い旧字旧仮名
底本 「青陵随筆」 座右寶刊行會
1947(昭和22)年11月20日
初出「地球」1924(大正13)年1月
入力者鈴木厚司
校正者門田裕志
公開 / 更新2004-06-15 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 希臘テルモピレーの温泉

「旅人よ、ラコニヤ人に告げよ。我等は其の命に從ひて此處に眠れりと」これはスパルタ國王レオニダスが紀元前四八〇年、寡兵を以てマケドニヤの強敵と戰ひ、テルモピレーの險に其の屍を埋めた戰場に立てられた記念の碑銘であつたことは、苟も希臘史を學んだものは記憶するであらう。併し此のテルモピレーが温泉の湧出地であることは、往々にして注意せられないかも知れない。「テルモ」は「熱い」と言ふ義であり、「ピレー」は門の意であれば、テルモピレーは即ち熱門とも譯す可きで、オエタの山がマリオコス灣に逼つて、ロクリスからテスサリヤに入る道が丁度此のテルモピレーの險阻を過ぎるのである。レオニダスの時より二千五百年の星霜を經て、桑田碧海の變と言ふ程では無いが、地形の變化は此のテルモピレーも埋められ、嶮崖は海岸線から稍々遠く距つて、緩傾斜になつて仕舞つた。併し名に負ふ温泉は、今も華氏百〇四度の温度を保つて硫黄泉として存在して居る。其の水の色は青緑色の海水の如く、「キトロイ」と稱する陶槽を用ゐて此地の住民が之を利用して居つたことは、紀元一世紀の「希臘のベデカー」であつたパウサニアスが夙に記して居る處である。私は二ヶ月の希臘旅行中、此のテルモピレーを訪ね得なかつたことは、最も殘念に思つた處の一であつて、ケロニヤから南下する時にテスサリヤの山を望んで幾度か嘆息した所であつた。

二 伊太利の古い温泉

 火山國である伊太利に温泉が豐富であることは今更言ふ迄もないことであり、羅馬人の以前早くエトルスキも、エトルリヤ各地に湧き出でる温泉を利用したことは想像に足る。例へばヴイテルボの附近にある古へのアクワ、パスセリスの地の如きは其の一であるが、エトルスキ時代の浴場の設備の著しいものは殘つて居ない。浴場は希臘に於いても格段なものは少く、羅馬に至つて遂に宏大な「テルメ」なるものが發現したが、此等は多く自然の温泉場ではなくて、大都會に於いて人工を以て冷水乃至高温の浴を取る爲めに作られたものである。併し隨所に湧出する天然の温泉は羅馬人によつて利用せられ、そこに別莊の如きものが出來、氣持のよい小浴場が設けられたことは言ふに及ばぬことである。
 羅馬附近にはチヴオリへ行く道にバーニと稱する驛があり、今も臭い硫黄泉が出てゐることは、車中からも旅客が見る處である。こゝは古へはアクワアルブーレエと稱せられた處である。ナポリ附近フラグレイアの野は火山地帶であつて、此處に幾多の火山と温泉が連續して居ることは、地質學者も考古學者も將た觀光の風流人も先刻知り拔いてゐる處であるが、これは思ふに海水浴と共に、温泉によつて羅馬以來繁昌したもので、ポツオリからバイヤに至る沿道の海岸には、當代の別墅の遺址が累々として列つてゐる。就中「ネロ帝の浴場」と名づけられるものは、海に突出した丘陵に穿たれた洞窟で、中には非…

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