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埃及雑記
エジプトざっき
作品ID42155
著者浜田 青陵
文字遣い旧字旧仮名
底本 「青陵随筆」 座右寶刊行會
1947(昭和22)年11月20日
初出「文藝春秋」1929(昭和4)年8月
入力者鈴木厚司
校正者門田裕志
公開 / 更新2004-06-15 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

          一

 埃及の入口ポートセイドの騷々しい港に船を降りて、一望百里鹽澤の外、何者も眼の前に見えない茫漠たる景色に接した私と倉田君とは、何處にナイルの恩惠たる黒土の埃及が横つてゐるかを疑つたのである。これは丁度二十年前、私が太沽の沖合に船が著いて、何處に支那の國があるかを怪しんだと同じ感じであつた。併し暫くすると兩側に青い畑も見え、椰子と駱駝も現はれて來た。其の間に博覽會場の壞れた樣な家と、喪服を著けた樣な黒い不活溌な女が動いてゐるのを見た。是が私の中學生以來あこがれてゐた『フワラオーの圖』の第一印象である。
 此の一種失望の感は、曾て希臘のパトラスへ著いて、一旦古への希臘が私から失はれた時と殆ど同じ種類のものであつたが、希臘では其後多少空想の希臘を回復したのに引きかへて、埃及では遂にポートセイドで受けた此の最初の印象がコビリついて、埃及は所詮私に取つて詩の國であり得なかつたことを悲しむ外はない。私は之につけても日本へ船が著く時、門司にせよ長崎にせよ、如何に美くしい山河が旅客を迎へて、其の憧憬の念を益々深からしむるものがあるかを想像し得るのである。而して船から陸へ上つた時、此の美くしい第一印象を破壞する人間を發見しないかと懼れる。浮世繪の板畫に、美くしい女ばかりを想像して、横濱へ上陸した或る西洋人が、會ふ女一人として畫の樣な姿をしてゐないのに落膽且つ憤慨して、直に歸國してしまつたと言ふ話を聞いたが、私はそれでも兎に角カイロ、テーベス、アスワン[#「アスワン」は底本では「アワワン」]とデルタから上埃及まで旅する丈けの辛抱と好奇心を失はなかつた。

          二

 私は當時埃及に滯在して居られるセイス先生に會ふ爲に、カイロへ直行せずして先づアレキサンドリヤ市へ行くことにした。夕暮ア市より一つ手前の驛に停車した時、何だか私の姓を呼ぶ樣な女聲が聞こえたが、アラビヤ語には「ハマダ」と言ふ風な名前が少なくない上、こんな處で女の知合はないので、私は意に介せずして居た處、汽車が動いてから、私の車室に這入つて來て私を尋ねる英國婦人があるのに驚いた。是はセイス先生の逗つてゐられる親友クラウヂウス・パシヤ夫人で、此の驛で降りた方が其の家に近いから、先生と二人で態々迎へに來られたのであるが、私を探してゐる中に發車したので、自分丈け汽車に飛び乘つたのであるとのこと。私は此の異域でゆくりなく此の厚意に接して感激する外はなかつた。
 ア市の郊外ヂーニヤに於けるパシヤの閑居に、私は此の夕べ、牛津で別れた以來の老先生と手を握り、靜かなる食卓に夫人と三人語り合つて、夜の更くるを知らなかつた喜は何に譬へようか。次の日は先生に案内せられて、博物館を見て後二三の名所を訪ねたが、「ポムペイの圓柱」なる羅馬の遺跡に行つた時、ウロ/\としてゐる一人の若い西洋婦人が居つたが、遂に…

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