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小さな出来事
ちいさなできごと
作品ID42164
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第二巻」 岩波書店
1997(平成9)年1月9日
初出「中央公論」1920(大正9)年
入力者Nana ohbe
校正者noriko saito
公開 / 更新2005-03-12 / 2014-09-18
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一 蜂

 私の宅の庭は、わりに背の高い四つ目垣で、東西の二つの部分に仕切られている。東側の方のは応接間と書斎とその上の二階の座敷に面している。反対の西側の方は子供部屋と自分の居間と隠居部屋とに三方を囲まれた中庭になっている。この中庭の方は、垣に接近して小さな花壇があるだけで、方三間ばかりの空地は子供の遊び場所にもなり、また夏の夜の涼み場にもなっている。
 この四つ目垣には野生の白薔薇をからませてあるが、夏が来ると、これに一面に朝顔や花豆を這わせる。その上に自然に生える烏瓜も搦んで、ほとんど隙間のないくらいに色々の葉が密生する。朝戸をあけると赤、紺、水色、柿色さまざまの朝顔が咲き揃っているのはかなり美しい。夕方が来ると烏瓜の煙のような淡い花が繁みの中から覗いているのを蛾がせせりに来る。薔薇の葉などは隠れて見えないくらいであるが、垣根の頂上からは幾本となく勢いの好い新芽を延ばして、これが眼に見えるように日々生長する。これにまた朝顔や豆の蔓がからみ付いてどこまでも空へ空へと競っているように見える。
 この盛んな勢いで生長している植物の葉の茂りの中に、枯れかかったような薔薇の小枝から煤けた色をした妙なものが一つぶら下がっている。それは蜂の巣である。
 私が始めてこの蜂の巣を見付けたのは、五月の末頃、垣の白薔薇が散ってしまって、朝顔や豆がやっと二葉の外の葉を出し始めた頃であったように記憶している。花の落ちた小枝を剪っているうちに気が付いて、よく見ると、大きさはやっと拇指の頭くらいで、まだほんの造り始めのものであった。これにしっかりしがみ付いて、黄色い強そうな蜂が一匹働いていた。
 蜂を見付けると、私は中庭で遊んでいる子供達を呼んで見せてやった。都会で育った子供には、こんなものでも珍しかった。蜂の毒の恐ろしい事を学んだ長子等は何も知らない幼い子にいろんな事を云って警めたりおどしたりした。自分は子供の時に蜂を怒らせて耳たぶを刺され、さんしちの葉をもんですりつけた事を想い出したりした。あの時分はアンモニア水を塗るというような事は誰も知らなかったのである。
 とにかくこんなところに蜂の巣があってはあぶないから、落してしまおうと思ったが、蜂の居ない時の方が安全だと思ってその日はそのままにしておいた。
 それから四、五日はまるで忘れていたが、ある朝子供等の学校へ行った留守に庭へ下りた何かのついでに、思い出して覗いてみると、蜂は前日と同じように、躯を逆様に巣の下側に取り付いて仕事をしていた。二十くらいもあろうかと思う六角の蜂窩の一つの管に継ぎ足しをしている最中であった。六稜柱形の壁の端を顎でくわえて、ぐるぐる廻って行くと、壁は二ミリメートルくらい長く延びて行った。その新たに延びた部分だけが際立って生々しく見え、上の方の煤けた色とは著しくちがっているのであった。
 一廻…

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