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最近日本の科学論
さいきんにほんのかがくろん
副題――緒論の部―一般的特色について――
――しょろんのぶ―いっぱんてきとくしつについて――
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集 第一巻」 勁草書房
1966(昭和41)年5月25日
初出「唯物論研究 第五六号」
入力者矢野正人
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-10-14 / 2014-09-18
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ひとり日本に限るわけではないが、特に現在の日本に於ては、含蓄ある意味での科学論が、多少とも進歩に関心を持つ社会人の溌剌たる興味の対象になっている点を、私は注目したい。近代日本の科学論の歴史は勿論決して新しくはない。特に社会科学乃至歴史科学に就いての科学論的反省は、叙述そのものにとっての日常不可欠な要点をなすので、夙くから注目されている(愚管抄の昔からあるにはあるのだ)。近代で最も先駆的な段階は恐らく田口鼎軒氏の『日本開化小史』などに見られるだろう。
 著しい例として挙げた田口氏のこの歴史叙述が、遙かに、世界大戦直後から日本に於て文化的時局性を帯びて来た史的唯物論に連続していることは、云うまでもなく、そして史的唯物論が今日、歴史科学・社会科学・に関する科学論の圧倒的な内容であることは断るまでもない。同様なことは自然科学に就いても、多少の割引と共に、あて嵌まる。但し近代的技術学との連関に基く「自然科学」なるものは、日本に於ては全く新しい文化内容であったから、それに関する科学論は、他よりおくれて世界大戦前後に初めて始まるのである(田辺博士の小著『最近の自然科学』はその意味で特徴的なものだろう)。特に自然弁証法を内容とする自然科学に関する新しい科学論は、つまり唯物論の立場から統一点を与えられた実際的な科学論は(之は日本だけではないどこでもだが)、ごく最近の仕事に属する。――で今日、日本文化的時局性に於て溌剌たる現象を呈している科学論一般は、唯物論に対する向背如何に拘らず、実は唯物論的な科学論議をめぐって現われていると云っても云い過ぎではあるまい、というのが私の見解だ。
 だが、元来科学論は科学そのものからの反省的な産物であるにも拘らず、矢張り一種の相対的独立性を持って世界の思想史の上を歩いて来ている。科学論は科学そのものとは往々にして独立な契機をみずから工夫することによって、思想史的な発展をして来ていることも忘れてはならぬ。そんな科学論などは、宙に浮いたもので観念的な過剰物にしかすぎない、という批評も嘘ではないが、併しそうばかりは云えないわけがある。なぜというに人類の歴史には、浮き上っているにせよ早急にせよ、とに角思想という抽象を可能ならしめる一つの運動があるのであって、この思想というものの歴史から見ると、科学論の科学そのものに対する相対的な独自性という事実には、歴史的意義があるからである。
 科学的精神というものも、宙に浮いたものであってはならぬわけだが、そうかと云って之を専門の科学者だけの精神と理解することは、勿論由々しい誤りである。例えば、科学的精神は科学を実際に研究することを離れては無内容だという考え方も、一見物を「具体化」すやり方のようだが、半面却って思い切った抽象なのだ。なぜなら、それでは専門の科学者でない一般大衆は、科学的精神に遂に近づくことを許され…

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