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鑢屑
やすりくず
作品ID42224
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第三巻」 岩波書店
1997(平成9)年2月5日
初出「週刊朝日」1924(大正13)年7月
入力者Nana ohbe
校正者noriko saito
公開 / 更新2004-09-16 / 2014-09-18
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         一

 ある忙しい男の話である。
 朝は暗いうちに家を出て、夜は日が暮れてしまってから帰って来る。それで自分の宅の便所へはいるのはほとんど夜のうちにきまっている。
 たまたま祭日などに昼間宅に居ることがある。そうして便所へはいろうとする時に、そこの開き戸を明ける前に、柱に取付けてある便所の電燈のスウィッチをひねる。
 それが冬だと何事もないが、夏だと白日の下に電燈の点った便所の戸をあけて自分で驚くのである。
 習慣が行為の目的を忘れさせるという事の一例になる。

         二

 雨上がりに錦町河岸を通った。電車線路のすぐ脇の泥濘の上に、何かしら青い粉のようなものがこぼれている。よく見ると、たぶん、ついそこの荷揚場から揚げる時にこぼれたものだろう、一握りばかりの豌豆がこぼれている。それが適当な湿度と温度に会って発芽しているのであった。
 植物の発育は過去と現在の環境で決定される。しかし未来に対する考慮は何の影響ももたない。もしそれがあるのだったら、今にも人の下駄の歯に踏みにじられるようなこんな道路の上に、このような美しい緑の芽を出すはずはない。

         三

 ○○町の停留場に新聞売りの子供が立っていた。学校帽をかぶって、汚れた袖無しを着ていたが、はいている靴を見ると、それはなかなか立派なものだった。踵にゴムの着いた、編上げの恰好のいい美事なのであった。少なくも私の知っている知識階級の家庭の子供の七十プロセント以上はこれよりもずっと悪いか、あるいは古ぼけた靴をはいているような気がする。

         四

 馬が日射病にかかって倒れる、それを無理に引ずり起して頭と腹と尻尾を麻縄で高く吊るし上げて、水を呑ませたり、背中から水をぶっかけたりしている。人が大勢たかってそれを見物している。こういう光景を何遍となく街頭で見かけた。
 この場合において馬方は資本家であり、馬は労働者である。ただ人間の労働者とちがうのは、口が利けない事である。プロパガンダの出来ない事である。
 馬と人間と一つにはならないという人があるだろう。
 そんな理窟がどこから出て来るかを聞きたい。

         五

 日本中の大工業家が寄り合って飯を食ったり相談をする建物がある。その建物の正面の屋根の上に一組の彫像のようなものが立っている。中央に何かしら盾のようなものがあってその両脇に男と女の立像がある。
 これはたぶん商工業の繁昌を象徴する、例えば西洋の恵比須大黒とでも云ったような神様の像だろうと想像していたが、近頃ある人から聞くと、あれは男女の労働者を象ったものだそうである。これを聞いた時に私は微笑を禁ずる事が出来なかった。

         六

 田舎道の道端に、牛が一匹つながれていた。そこへ十歳前後くらいの女の児が二、三人つれだって通り…

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