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花子
はなこ
作品ID42226
著者森 鴎外
文字遣い新字旧仮名
底本 「鴎外全集 第七巻」 岩波書店
1972(昭和47)年5月22日
初出「三田文学 第一卷第三號」1910(明治43)年7月1日
入力者ふるかわゆか
校正者土屋隆
公開 / 更新2005-05-27 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 Auguste Rodin は為事場へ出て来た。
 広い間一ぱいに朝日が差し込んでゐる。この H[#挿絵]tel Biron といふのは、もと或る富豪の作つた、贅沢な建物であるが、つひ此間まで聖心派の尼寺になつていた。Faubourg Saint-Germain の娘子供を集めて Sacr[#挿絵]-C[#挿絵]ur の尼達が、此間で讃美歌を歌はせてゐたのであらう。
 巣の内の雛が親鳥の来るのを見附けたやうに、一列に並んだ娘達が桃色の脣を開いて歌つたことであらう。
 その賑やかな声は今は聞えない。
 併しそれと違つた賑やかさが此間を領してゐる。或る別様の生活が此間を領してゐる。それは声の無い生活である。声は無いが、強烈な、錬稠せられた、顫動してゐる、別様の生活である。
 幾つかの台の上に、幾つかの礬土の塊がある。又外の台の上にはごつ/\した大理石の塊もある。日光の下に種々の植物が華さくやうに、同時に幾つかの為事を始めて、かはる/″\気の向いたのに手を着ける習慣になつてゐるので、幾つかの作品が後れたり先だつたりして、此人の手の下に、自然のやうに生長して行くのである。此人は恐るべき形の記憶を有してゐる。その作品は手を動さない間にも生長してゐるのである。此人は恐るべき意志の集中力を有してゐる。為事に掛かつた刹那に、もう数時間前から為事をし続けてゐるやうな態度になることが出来るのである。
 ロダンは晴やかな顔附をして、この許多の半成の作品を見渡した。広々とした額。中程に節のあるやうな鼻。白いたつぷりある髯が腮の周囲に簇がつてゐる。
 戸をこつ/\と叩く音がする。
「Entrez !」
 底に力の籠つた、老人らしくない声が広間の空気を波立たせた。
 戸を開けて這入つて来たのは、猶太教徒かと思はれるやうな、褐色の髪の濃い、三十代の痩せた男である。
 お約束の Mademoiselle Hanako を連れて来たと云つた。
 ロダンは這入つて来た男を見た時も、その詞を聞いた時も、別に顔色をも動かさなかつた。
 いつか Kambodscha の酋長が巴里に滞在してゐた頃、それが連れて来てゐた踊子を見て、繊く長い手足の、しなやかな運動に、人を迷はせるやうな、一種の趣のあるのを感じたことがある。その時急いで取つた dessins が今も残つてゐるのである。さういふ風に、どの人種にも美しい処がある、それを見附ける人の目次第で美しい処があると信じてゐるロダンは、此間から花子といふ日本の女が vari[#挿絵]t[#挿絵]に出てゐるといふことを聞いて、それを連れて来て見せてくれるやうに、伝を求めて、花子を買つて出してゐる男に頼んで置いたのである。
 今来たのはその興行師である。Impr[#挿絵]sario である。
「こつちへ這入らせて下さい」とロダンは云つた。椅子をも指さないのは…

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