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茂吉への返事
もきちへのへんじ
作品ID42238
著者折口 信夫
文字遣い旧字旧仮名
底本 「折口信夫全集  第廿七巻」 中央公論社
1968(昭和43)年1月25日
初出「アララギ 第十一卷第六號」1918(大正7)年6月
入力者高柳典子
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-03-13 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

わたしはこゝで、駁論を書くのが、本意ではありません。そんなことをしては、忙しい中から、意見して下された、あなたの好意を無にすることに當りませう。其に第一、お申し聞けの箇條は、大體に於て、わたしの意表外に出たことではありませんでしたから。といふと、何だかあなたの語を輕しめる樣な、高ぶつた語氣を含んでゐる樣に、聞えるかも知れませんが、實の處、あなたのみならず同人の方々の、あゝいふ傾向の抗議のあることは、漠然と豫期しながら、あの百首の發表をしたのですから、あわたゞしく辯解しようとも思ひません。たゞ、世間にはわれ/\朋黨の意味をば取り違へて、個性を沒却した政治的の意味に、誤解してゐる人々も、ちよい/\見受けられます。それは「文藝上の朋黨」といふ小論文を書いたわたしにも、大分責任がある樣です。それで、御來旨に對して、わたし自身の生活に根ざした態度や、主張を明らかにして置くのに、却つて、都合のよい機會だ、と思つたのです。
最初にお願ひしたいのは、わたしはまだ生長の途中に在るのですから、ひとの思はくに氣をかねるなどいふ、餘裕が出來てゐない、といふことを考へに置いて頂くことです。
同人の末に連つてゐる行きがゝり上、從順な會員に、濁りを帶びた歌を見せて、趨舍に當惑させるのは、或は單純に考へれば、罪惡ともいふべきものでせう。又既成概念を以て、アララギ派の歌風を見てゐる世間に對して、風變りな歌を見せるといふことは、アララギの歴史上、かなり迷惑なことであるのは、わたしも考へないではありません。唯前にいうた、生長の途中に在るわたしとしては、甚利己的にとられ相な言ひ分ですが、會員を上衆にする前に、先わたしから上衆にならねばならぬ、と思ひます。或は先達諸家の迷惑に思はれることかも知れませんが、アララギ派の既成概念に反した態度になるのも、止むを得ぬことだと思ひます。だから、會員や世間を目安として、歌を作ることは、今のわたしには、到底能はぬことなのです。同人諸兄は事實、わたしよりは、數段も上にある人ばかりで、後進の身としては、勉強の急を感じない訣には參りません。いつか中村さんからの私信に「君の歌は毎號變つていつてる」とありましたのを讀んだ時、非常に有り難く思ひました。わたしは上衆にならない前に、まづ固定するのを恐れます。自分にも變り目の甚しいのが訣つてゐるのです。時々固定した日を考へて見ると、寂しくて堪へられなくなつて來ます。
だからというて、變化の途々にある毎月の歌を、試作だとか、未定稿などゝいふ囘避は、決していたしません。何時、誰から、如何なる批評を受けても、喜んで耳を傾けるだけの覺悟は持つて居ます。
同人諸兄、殊に、あなたと赤彦さんが、左千夫先生と議論を繰り返された歴史が、復あなたと私との上に循つて來たのだ、といふ氣がします。あの頃、服部躬治先生の處へ通ふことをやめてゐた私が、子規庵の…

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