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司馬遷の生年に関する一新説
しばせんのせいねんにかんするいちしんせつ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桑原隲藏全集 第二卷 東洋文明史論叢」 岩波書店
1968(昭和43)年3月13日
初出「史學研究 第一卷第一号」広島史学研究会、1929(大正2)年8月
入力者はまなかひとし
校正者土屋隆
公開 / 更新2006-12-09 / 2014-09-18
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

         一

 司馬遷が支那の學者達に推奬される程、それ程の大歴史家であるかは、一の疑問と思ふ。率直にいふと、私は彼の史才や史筆に就いて、飽足らなく感ずる點が尠くない。併し彼の作つた『史記』は支那歴史の正史の模範となり、支那の史學界、否更に廣く東亞諸國の史學界に、多大の裨益と影響を與へて居る。この點より觀れば、彼は正しく支那史學の開祖として、百代に尸祝されるべき者で、西洋學者が彼に附與した「支那のヘロドトス」――The Herodotus of China――といふ稱號も、先づ當然と認めねばなるまい。所がこの支那史學の開祖たる司馬遷の事蹟は、存外に曖昧で確實に知られて居らぬ。
 一體司馬遷の事蹟は『史記』卷百三十の太史公自序と、『漢書』卷六十二の司馬遷傳とを、第一の史料とする。太史公自序は司馬遷の自傳であるから、彼の事蹟に就いては十分詳實なるべき筈であるが、實際は必ずしも左樣でない。司馬遷の粗笨なる頭腦と、豪放なる筆致とは、記載せざるべからざる事項をも省略し、明確とせざるべからざる事項をも曖昧にして居る。班固の司馬遷傳も「報二任安一書一篇」の増補を除けば、その他は太史公自序の無責任なる鈔襲のみで、上述の缺陷に就いて、何等裨補する所がない。要するに『史記』と『漢書』とのみでは、司馬遷の事蹟を正確に知ることが出來ぬ。私は不確實なる司馬遷の事蹟の中で、彼の生年に就いて、聊か所見を披瀝したい。『史學研究』の創刊に際して支那史學の開祖たる司馬遷に關する事蹟を紹介するのは、寧ろ適當なる題目かと思ふ。

         二

 司馬遷の生年は、『史記』にも『漢書』にも明記されて居らぬ。『漢書』は兔に角、『史記』の太史公自序に、自身の生年を缺くが如きは、實に一の不可思議である。それで司馬遷の生年は、遂に確知することが出來ぬ。清の呉榮光の『名人年譜』にも、民國の張惟驤の『疑年録彙編』にも、すべて司馬遷の生年を登録してない。司馬遷の生年に關する學術的研究は、民國の王國維を最初とする。王國維が民國五年(西暦一九一六)に發表した「太史公繋年考略」(『廣倉學窘叢書』第一集所收)や、民國十二年(西暦一九二三)に、それと内容は同じく題目を異にして發表した「太史公行年考」(『觀堂集林』卷十一所收)に、委細に司馬遷の生年を考證して居る。王國維の所説に反對して、民國の張惟驤が、昨民國十七年(西暦一九二八)に、『太史公疑年考』を公刊して、別に司馬遷の生年を考證して居る。
 王國維の所説は、唐の張守節の『史記正義』に、太史公自序の太初元年(西暦前一〇四)の條下に、案遷年四十二歳と註せるを根據として、太初元年より四十一年前に溯つた、景帝の中元五年(西暦前一四五)を司馬遷の生年と認むるのである。同時に唐の司馬貞の『史記索隱』に、西晉の張華の『博物志』を引いて、太史公自序の元封三年(西暦前一…

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