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貝殻追放
かいがらついほう
作品ID42253
副題015 「末枯」の作者
015 「うらがれ」のさくしゃ
著者水上 滝太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「水上瀧太郎全集 九卷」 岩波書店
1940(昭和15)年12月15日
初出「三田文學」1919(大正8)年9月号
入力者柳田節
校正者富田倫生
公開 / 更新2005-03-04 / 2014-09-18
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 久保田万太郎君と自分とのおつきあひも既に十年になつた。久保田君が「朝顏」を書き、自分が「山の手の子」を書いた頃から知己になつたのだ。
 あれは「三田文學」創刊の年の秋だつたと思ふ。その頃三田の山の上にかたまつて居た連中が、同人雜誌を出す計畫をした。誰一人作品を發表した事の無い處女性から、「三田文學」といふやうな立派な雜誌を舞臺にする事は思ひもよらなかつたので、先づ手習に同人雜誌を出さうといふのが主意だつた。自分も好奇心に驅られて相談會に出席した。場所は田町の鹽湯の二階だつたと記憶して居るが、どんな家だつたか、はつきり目に浮べる事は出來なくなつた。十數人集つた仲間の半分以上は、自分の知らない顏だつた。てんでんにいろんな希望を述べあつたが、結局は資金の問題だつた。會費制度だと聞いて居た「白樺」の噂が頻に出たやうに覺えて居る。月々一人がいくらいくらの會費を出せば維持して行かれる、いやそれでは足りない、そんなには出せない、といふやうな事を長い間言ひ合つた。雜誌さへ出せば、直ぐにも文壇の一角に勢力を張れるやうな口をきく者も、計算の事に及ぶと口をつぐまなければならなかつた。みんなが書生つぽだつたのだ。
 その中でたつた一人、際立つて世馴れた口をきく人が居た。それ迄に、一度も顏を見た事の無い人だつた。金釦の制服を着て、人々の後の方にひかへめにして居るのが、まるで新入生のやうだつた。その人は一册の雜誌を出すには、どの位費用がかかるとか、どの位の部數で、どの位賣れ殘るものだとか、會費制度ならば、どの位なければ足りないとかいふやうな事を、事細かに述べた。大ざつぱな書生ばかりの中に、たつた一人のその人は、怖ろしく頼母しい人に見えた。唯單に雜誌出版の話をした丈だつたけれど、聞いて居る自分は、此の人は世の中の事はなんでも知り盡して居る人だといふやうな氣がして、感服してしまつた。それが久保田君だつた。
「あれは誰だい。」
「久保田つてね、豫科の生徒で、俳句かなんかやる男だとさ。」
 といふやうな問答を、隣席の友だちとささやきかはした事を覺えて居る。
 その[#「 その」は底本では「その」]同人雜誌は、矢張り資金の問題で物にならなかつたが、間も無く久保田君は「朝顏」一篇を「三田文學」に掲げて、年少早く既に第一流の作家として恥しくない手腕を見せて世間を驚かした。
 當時の事を考へると、記憶は未だ生々しく、久保田君の金釦の制服姿も、昨日一昨日の事のやうに思はれるが、しかしながら十年の歳月は、流石にさまざまの變遷を物語るものがなければならない。
 自分が、世の中を知り盡した頼母しい人に思つた、温順な豫科の生徒も激變した。少くとも自分の見る久保田君は驚く程變つた。
 中學時代も同じ三田の山の上に居ながら、年齡も學級も自分の方が上だつたので、田町の鹽湯で頼母しかつた久保田君以前は知らなかつたのだ…

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