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平民の娘
へいみんのむすめ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「三島霜川選集(中巻)」 三島霜川選集刊行会
1979(昭和54)年11月20日
初出「文芸倶楽部」1907(明治40)年8月1日
入力者小林徹
校正者富田晶子
公開 / 更新2016-09-11 / 2016-09-02
長さの目安約 69 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 此の日も周三は、畫架に向ツて、何やらボンヤリ考込むでゐた。モデルに使ツてゐる彼の所謂『平民の娘』は、小一時間も前に歸ツて行ツたといふに、周三は尚だ畫架の前を動かずに考へてゐる。何を考へてゐたかといふと、甚だ漠然としたことで、彼自身にも具體的に説明することは出來ない。難然[#「難然」はママ]考へてゐることは眞面目だ、少し大袈裟に謂ツたら、彼の運命の消長に關することである。
『平民の娘』お房は、單にモデルとして彼の眼に映ツてゐるのでは無い。お房は彼の眼よりも心に能く映ツた。
 お房が周三のモデルになつて、彼の畫室のモデル臺に立つやうになツてから、もう五週間ばかりになる。面も[#「面も」はママ]製作は遲々として一向に捗取らぬ。辛面影とひなたが出來た位のところである。兀も周三は近頃恐ろしい藝術的頬悶に[#「頬悶に」はママ]陥ツて、何うかすると、折角築上げて來た藝術上の信仰が根底からぐらつくのであツた、此のぐらつきは、藝術家に取りて、最も恐るべき現象で、都ての悦も満足も自負も自信も、悉く自分を去ツて了ツて、代に恐怖が來る。其所で臆病となる。そして馬鹿にえらいと思ツてゐた自分が、馬鹿にけちなつまらない者になツて了ツて、何にも爲る氣が無くなツて了ふ………爲る氣が無いのでは無い、自分の力では手も足も出ないやうに思はれるのだ。でも此様な筈では無かツたがと、躍起となツて、行る點まで行ツて見る、我慢で行ツて見る。仍且駄目だ。頭で調子が出て來ない。揚句に草臥れて了ツて、悲観の嘆息だ。此の時位藝術家の意久地の無いことはあるまい、幾らギリ/\齒を噛むだと謂ツて、また幾ら努力したと謂ツて、何のことはない、破けたゴム鞠を地べたに叩付けるやうなもので何の張合もない。たゞ心細くなツて、莎薀してゐるばかりだ。周三には此の恐怖時代が來た。
 自體周三が、此の繪を描き始めた時の意氣込と謂ツたら、それはすばらしい勢で、何でもすツかり在來の藝術を放擲ツて、新しい藝術に入るのだと誇稱して、其の計畫も抱負も期待も大したものであツた。で其の準備からして頗る大仰で、モデルの詮索にも何の位苦心したか知れぬ。そうしてモデル屋の持ツて來るモデルもモデルも片ツ端から刎付けて、或る手蔓を得てやツとこさ自分で目付け出したモデルといふのが即ちお房であツた。お房は顔立なら體格なら、殆んど理想的のモデルだ。一體日本の婦の足と來たら、周三等の所謂大根で、不恰好に短いけれども、お房の足はすツと長い、從ツて背も高かツたが、と謂ツて不態な大柄ではなかツた。足の形でも腰の肉付でも、または胴なら乳なら胸なら肩なら、總べて何處でもむツちりとして、骨格でも筋肉でも姿勢でも好く整ツて發育してゐた。加之肌が眞ツ白で滑々してゐる。そして一體にふくよかに柔かに出來てゐる、而も形に緊ツたところがあツたから、誰が見ても艶麗な美しい體であツた。着物を…

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