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猫の穴掘り
ねこのあなほり
作品ID42265
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第四巻」 岩波書店
1997(平成9)年3月5日
初出「大阪朝日新聞」「東京朝日新聞」1934(昭和9)年9月1日
入力者Nana ohbe
校正者砂場清隆
公開 / 更新2005-08-29 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 猫が庭へ出て用を便じようとしてまず前脚で土を引っかき小さな穴を掘起こして、そこへしゃがんで体の後端部をあてがう。しかしうまく用を便ぜられないと、また少し進んで別のところへ第二の穴を掘って更に第二の試みをする。それでもいけないと更に第三、第四と、結局目的を達するまでこの試みをつづけるのである。工合の悪いのが自分の体のせいでなくて地面の不適当なせいだと思うらしい。
 どこへ住居を定めあるいは就職しても何となく面白く行かないで、次から次へと転宅あるいは転職する人のうちにはこの猫のようなのもあるいはあるかもしれない。
 永らく坐りつづけていたあとで足がしびれて歩けなくなる。その時、しびれた足の爪先をいくら揉んでもたたいてもなかなか直らない。また、夜中に眼が覚めてみると、片腕から手さきがしびれて泣きたいような歯がゆいような心持がすることがある。これもその、しびれた手さきや手首を揉んでも掻いてもなかなか直らない。これらの場合にはそのしびれた脚や腕の根元に近いところに着物のひだで圧迫された痕跡が赤く印銘されているのでそこを引っかき摩擦すればしびれはすぐに消散するのである。病気にもこんな風に自覚症状の所在とその原因の所在とがちがうのがあるらしい。
 人間の心の病や、社会や国家の病にもこんなのがある。異常を「感じる」ところをいくら療治してもその異常は直らない。それを「感じさせる根原」の所在を突き止めなければ病は直せないのである。しかしこの病原を突きとめて適当な治療を加えることの出来るような教育者や為政者は古来稀である。
 喧嘩ばかりしていて、とうとうおしまいに別れてしまう夫婦がある。聞いてみると到底性格が一致せぬからだという。しかしよくよく詮議してみるとやはり貧乏が総ての究極の原因であったという場合もかなり多いようである。紳士と紳士が主義の相違で仲違いをしたというのが、その背後に物質の問題のかくれていることもある。
 世の中が妙に騒々しくて、青いX事件があるかと思うと黒いY事件、黄色いZ事件などが続出する。ある人はこれを社会経済状態の欠陥のせいだと信じ、またある人は唯物論的思想の流行による国民精神の廃頽のせいだと思い込む。しかしこれらの動揺の真因は必ずしもそう手近な簡単なものではないかもしれないと思われる。
 いろいろ考えられる原因の中での一つのかなり重要な因子として次のようなものが考えられる。それは、理化学の進歩の結果としてあらゆる交通機関が異常に発達したのはよいが、その発達が空間的時間的に不均整なために、従来は接触し得なかったような甚だしい異質的なものの接触が烈しくなり、異質間の異性質のグレディエントが大きくなった。そうして、そういう接触に人間が馴れ得るためにはそういう接触の時間的変化があまりに急激過ぎるか、ないしは人間の頭の適応性があまりに遅鈍であり過ぎるか、とにかく…

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