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闇への書
やみへのしょ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代日本文学全集 43」 筑摩書房
1954(昭和29)年5月25日
入力者川向直樹
校正者小林繁雄
公開 / 更新2004-01-19 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     第一話

 私は昨日土堤の土に寢轉びながら何時間も空を見てゐた。日に照らされた雜木山の上には動かない巨きな雲があつた。それは底の方に藤紫色の陰翳を持つてゐた。その雲はその尨大な容積のために、それからまたその藤紫色の陰翳のために、茫漠とした悲哀を感じさせた。それは恰もその雲のおほひかぶさつてゐる地球の運命を反映してゐるやうに私には思へた。
 雜木山の麓から私の坐つてゐた土堤へかけては山と山とに狹められたこの村中での一番大きな平地だ。溪からは高く、一日中日のあたつてゐる畑だ。午後になつてすでに影になつてしまつた街道を歩いてゐて、家と家との間から、また暗い家のなかに開いてゐる裏木戸から、この一帶の平地をちらと見た時程平和な氣持のするときはない。
 その雲はその平地の上に懸つてゐた。平地のはての雜木山には絶えず時鳥が鳴いてゐた。目に見えて動くものはない。たゞ山の麓に水車が光つてゐたばかりだつた。
 私は其處から眼を轉じて溪向ふの杉山の上を眺めた。その山のこちら側はすつかり午後の日影のなかにあつた。青空が透いて見えるやうな薄い雲が絶えずその上から湧いて來た。
 次へ次へ出て來る雲は上層氣流に運ばれながら、そして自ら徐ろに旋[#挿絵]しながら、私の頭の上を流れて行つた。緩い渦動に絶えず形を變へながら、青空のなかへ、卷きあがつてゆく縁を消しながら。
 ――それはちやうど意識の持續を見てゐるやうだつた。それを追ひつ迎へつしてゐるうちに私はある不思議な現象を發見した。それはそれらの輕い雲の現はれて來る來方だつた。それは山と空とが噛み合つてゐる線を直ちに視界にはいつて來るのではなかつた。彼等の現はれるのはその線からかなり距つたところからで、恰度燒きつけた寫眞を藥のはいつた[#挿絵]ツトへ投げ込んで影像があらはれて來るやうな工合に出て來るのだつた。私はそれが不思議でならなかつた。
 空は濃い菫色をしてゐた。此の季節のこの色は秋のやうに透き通つてはゐない。私の想像はその色が暗示する測り知られない深みへ深みへのぼつて行つた。そのとたん私は心に鈍い衝撃をうけた。さきの疑惑が破れ、ある啓示が私を通り拔けたのを感じた。
 闇だ! 闇だ! この光りに横溢した空間はまやかしだ。
 日を浴びながら青空を見るのは冬からの私のどんな樂しみだつたらう。山々に視界を遮られたこの村へ來て、私は海を見る樂しみを空へ向けた。日向へ寢轉べば、そこは常に岬の突角だつた。そして私は今迄に何隻の船をその無限の海へ出發させてゐたらう。
 空の濃い菫色は見てゐれば見てゐる程、闇としか私には感覺出來なくなつた。星も月もない夜空よりも、眞に闇である闇を私は見たのだ。そして私は宿へ歸つて來た。

     第二話

 ずつと以前から私は散歩の途中に一つのたのしみを持つてゐた。下の街道から深い溪の上に懸つた吊橋を渡つて…

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