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田舎がえり
いなかがえり
作品ID42332
著者林 芙美子
文字遣い新字新仮名
底本 「林芙美子随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年2月1日
入力者林幸雄
校正者noriko saito
公開 / 更新2004-08-26 / 2014-09-18
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 東京駅のホームは学生たちでいっぱいだった。わたしの三等寝台も上は全部学生で女と云えば、わたしと並んだ寝台に娘さんが一人だった。トランクに凭れて泣いているような鼻のすすりかたをしている。わたしは疲れていたので、枕もとのカアテンを引いてすぐ横になったが、眼をつぶらないうちに頭のところのカアテンが開いてしまって、三階の寝台で新聞を拡げている音がしている。三階から下まで通しになった一つのカアテンなので、一人が眠くなって灯をさえぎりたくても、上の方で眠くない人がカアテンを開けると、寝た顔は何時までも廊下の灯の方へ晒していなければならない。仕方がないので、ハンカチを顔へあてて眠ったが、なかなか寝つかれなかった。阿部ツヤコさんの三等寝台の随筆を読むと、近所同士がすぐ仲よくなれて愉しそうだったけれども、わたしの三等寝台はとっつきばのない近所同士だった。熱海あたりで眼が覚めると、前の娘さんは帯をといて寝巻きに着替える処だった。羽織と着物を袖だたみにして風呂敷に包むと、少時わたしの寝姿を見ていて横になった。
(どの辺かしら)わたしはひとりごとを云ってちょっと起きあがってみたが、娘さんは黙ったまま湿ったようなハンカチを顔へあてて鼻をすすっている。二階の寝台からは縄のようになったサスペンダーと、大きな手がぶらさがっている。気になってなかなか寝つかれなかった。ポーランドの三等列車にどこか似ている。――朝眼が覚めたのは大垣あたりだった。娘さんは床の上へハンカチを落してよく眠っていた。昨日は灯火が暗くてよく分らなかったけれども、本当に泣いたのだろう、瞼が紅くふくらんでいた。顔を洗いに行って帰って来ると、娘さんは起きて着物を着替えていたが、わたしの上の寝台からは、まだサスペンダーがぶらさがっている。娘さんと眼が合っても娘さんはにこりともしない。よっぽど考えることがあったのだろう。小さい鏡を出して髪かたちを調えると、また昨夜のようにトランクに肘をついて鼻をすすっていた。

      *

 わたしは京都へ降りた。二等車からも、外国人が四、五人降りて来ていた。わたしは赤帽がみつからなかったので、ホームへ降ろしたトランクをさげて歩み出すと、「ヴァラ」と云って、わたしの小さい蝙蝠傘を背の低い男の外国人がひろってくれた。「メェルスィ・ビヤン!」そう応えて、わたしは思わず顔の赧くなるような気持ちを感じてたじたじとなってしまった。巴里にいたとき、何度かこんな片言を云っていたが、京都でこんな言葉を使うとはおもいもよらないことだ。関西に住み馴れた仏蘭西人なのだろう。橋を渡ってさっさと改札口へ行った。同じ席にいた鼻をすする娘さんも京都で降りてわたしの横を改札口の方へ歩いて行っている。
 朝なので、駅の前はしっとりしていて気持ちがよかった。ホテルの旗をたてた人力車が何台もならんでいたりする。東京駅には人力車…

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