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寄席と芝居と
よせとしばいと
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「綺堂芝居ばなし」 旺文社文庫、旺文社
1979(昭和54)年1月20日
入力者門田裕志
校正者小林繁雄
公開 / 更新2004-06-09 / 2014-09-18
長さの目安約 53 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一 高坐の牡丹燈籠

 明治時代の落語家と一と口に云っても、その真打株の中で、いわゆる落とし話を得意とする人と、人情話を得意とする人との二種がある。前者は三遊亭円遊、三遊亭遊三、禽語楼小さんのたぐいで、後者は三遊亭円朝、柳亭燕枝、春錦亭柳桜のたぐいであるが、前者は劇に関係が少ない。ここに語るのは後者の人情話一派である。
 人情話の畑では前記の円朝、燕枝、柳桜が代表的の落語家と認められている。就中、円朝が近代の名人と称せられているのは周知の事実である。円朝は明治三十三年八月、六十二歳を以て世を去ったのであるから、私は高坐における此の人をよく識っている。例の「牡丹燈籠」や「累ヶ淵」や「塩原多助」も聴いている。私の十七、八歳の頃、即ち明治二十一、二年の頃までは、大抵の寄席の木戸銭(入場料などとは云わない)は三銭か三銭五厘であったが、円朝の出る席は四銭の木戸銭を取る。僅かに五厘の相違であるが、「円朝は偉い、四銭の木戸を取る。」と云われていた。
 さてその芸談であるが、落語家の芸を語るのは、俳優の芸を語るよりも更にむずかしい。俳優の技芸は刹那に消えるものと云いながら、その扮装の写真等によって舞台のおもかげを幾分か彷彿させることも出来るが、落語家に至ってはどうすることも出来ない。したがって、ここで何とも説明することは不可能であるが、早く云えば円朝の話し口は、柔かな、しんみりとした、いわゆる「締めてかかる」と云うたぐいであった。もし人情話も落語の一種であるというならば、円朝の話し口は少しく勝手違いの感があるべきであるが、自然に聴衆を惹き付けて、常に一時間内外の長丁場をツナギ続けたのは、確かにその話術の妙に因るのであった。
 私は円朝の若い時代を知らないが、江戸時代の彼は道具入りの芝居話を得意とし、赤い襦袢の袖などをひらつかせて娘子供の人気を博し、かなりに気障な芸人であったらしい。しかも明治以後の彼は芝居話を廃して人情話を専門とし、一般聴衆ばかりでなく、知識階級のあいだにも其の技倆を認めらるるに至ったのである。彼はその当時の寄席芸人に似合わず、文学絵画の素養あり、風采もよろしく、人物も温厚着実であるので、同業者間にも大師匠として尊敬されていた。
 明治十七、八年の頃とおぼえている。速記術というものが次第に行なわれるようになって、三遊亭円朝口演、若林坩蔵速記の「怪談牡丹燈籠」が発行された。後には種々の製本が出来たが、最初に現われたのは半紙十枚ぐらいを一冊の仮綴にした活版本で、完結までには十冊以上を続刊したのであった。これが講談落語の速記本の嚆矢であろうと思われるが、その当時には珍しいので非常に流行した。それが円朝の名声をいよいよ高からしめ、あわせて「牡丹燈籠」を有名ならしめ、さらに速記術というものを世間にひろく紹介することにもなったのである。
 私は「牡丹燈籠」の速…

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