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過渡人
かとにん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第一巻(小説Ⅰ)」 未来社
1967(昭和42)年6月20日
初出「帝國文學 第二十二卷第四號」1916(大正5)年4月1日
入力者tatsuki
校正者岩澤秀紀
公開 / 更新2010-12-07 / 2014-09-21
長さの目安約 42 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 三月の末に矢島さんは次のようなことを日記に書いた。――固より矢島さんは日記なんかつけはしない、これはただ比喩的に云うのである。

 俺はこの頃妙な気持ちを覚ゆる。何だか新らしい素敵なことが起りそうな気がする。それはただ俺の内生活に於てでもない、また外生活に於てでもないが俺に関係するものであることは確かだ。どんなことだかまだ分らないが。兎に角何かが起りそうだ。……然し或はまた何にも起らないでこのままの淡い日々が続くのかも知れない。
 淡い日々、そうだうまい言葉だ。懶い……と云っても当らない。俺は何も退屈しているんじゃない、為すべき仕事に事欠きはしない、却って忙しい位だ。青白い……と云っても当らない。俺の生活はそんなに空虚ではない、またこんな気障な言葉に価するほど俺の日々は安価でもない。……が然し淡い……そうだ、淡い日々だ。
 俺の心のうちに何かが緩んできたのは事実だ。生の握力が緩んでいると云っても差支えない。若い時分から俺はしっかと自分の生活を握ってやって来た。或は何かを握り緊めてやって来た。それが近頃緩んできたのかも知れない。も少しはっきり云うと、俺の魂のうちに含んであった熱が減退してきたと云ってもいい。俺がやった学問から云っても、緊と物を握る重圧は力だ、力はエネルギーだ、エネルギーは熱だ。どうも俺の魂の熱が冷却してきたのらしい。従って心の活動が減じてきたのだ。これも俺の得た学問からでも説明がつく。吾々が光りと感じ熱と感ずるものは、結局おしつむれば電子の運動だ。で俺が今自分の心に熱が少くなったと感ずるのは、この俺を組織している電子に運動が少くなったことになる。即ち俺の内心の活動が減じてきたのだ。然し内心と云い魂と云い自発的の生命というようなものは俺には明瞭に分らない、ただそれを感ずるだけだ。俺は自分の魂に活動が減退してきたことを感ずる。
 然しそれは何も俺の生活が安価になったことを意味するものではない。反対に、俺の生活に落ち付きが出来、充実が出来たことを示すものであるかも知れない。俺はもう馬鹿げた熱情や野心に駆られることなしに、如何なることが起ろうとじっとどっしりして居られる位にはなっている。だが……。
 工学士の肩書を得る頃まで、俺はずっと東京に居て一仕事するつもりだった。が父の立派な意気に対する感激とこの町が東京から程遠からぬ処に在るということのために、俺は此処に帰って来たのであった。俺の家には可なりの財産と家柄とがあった。それを利用して父と俺とは電燈株式会社を創立して、その社長兼専務取締役というような位置になることが出来たのであった。それから、最初の事業の困難、父の病死、思わぬ財政上の困難、母の病死、それらを兎に角俺は切りぬけて来た。今では万事が順調にいっている。俺の事業とある意味で競争の形となっている瓦斯会社の発展をも俺は親しい眼で見ることが…

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