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生と死との記録
せいとしとのきろく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第一巻(小説Ⅰ)」 未来社
1967(昭和42)年6月20日
初出「帝国文学」1918(大正7)年1月
入力者tatsuki
校正者松永正敏
公開 / 更新2008-10-22 / 2014-09-21
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 十月十八日、空が晴れて日の光りが麗しかった。十二時少し過ぎ、私はHの停留場で電車を下りて家へ歩いて行った。賑かなM町通りを通っていると、ふと私は堯に玩具を買って行ってやろうかと思った。玩具屋の店先には種々なものがごたごた並べてあった。私はその方にちらりと目をやって頭を振った。そんな考えが私に起ったのは、非常に珍らしかったのである。そして何だか変だった。空を仰ぐと、青く澄み切った大空が円く悠久な形を取って私自身を淋しくなした。
 私は何時ものように性急に歩きながら、寺の間の静かな通りを自分の家に帰って行った。
 玄関にはいると、常が一人私を出迎えた。私は一種の物足りなさを感じた。私が勤めから帰って来ると、いつも芳子かS子さんかまたは常かが、堯を後から抱えるようにして歩かして出迎えるのが普通だった。堯は笑い乍ら飛びはねるようにして出て来るのであった。
 私は黙って靴を脱いで茶の間に通り、それから座敷の方を覗いた。いつもの蒲団を敷いて堯は寝ていた。芳子が側に坐っていた。
「どうかしたの。」と私は云った。
「ええ。」と芳子は不安らしい眼を挙げた。そしてこんなことを話した。――十時頃堯はいつものように昼寝をした。十二時に眼を覚した。がっかりしているようで元気が無かった。額が熱かった。熱をはかると九度八分に上っていた。驚いてまた寝かすと、そのまま眠ってしまった。
 堯は咋年の一月十一日に生れて、丈夫に育っていった。所が六月に百日咳にかかった。丁度私達のことをよく知ってるSという小児科専門の医学士が居たので、その人に診て貰って、そうひどくならないうちに癒ってしまった。それから八月の末に消化不良にかかった。ごく軽かったので近くのTという医師に診て貰って居たが、いつまでもよくならなかった。いつの間にか病気は慢性になった。私はまたS医学士の手を煩わした。病気がひどくなって危険なことも二三度あった。私に似て呼吸器も弱かった。がS氏の手当に依ってどうかこうか生命を取り留めた。S氏は大学の研究所の方の忙しい仕事の合間にいつも私の家を見舞ってくれた。病気が軽くなると、芳子は堯をだいて常を連れて、大学のS氏の許へ通った。そして今年の五月頃からはもう時々しか薬も取らなくていいようになった。粥をすすって魚肉を食べるようになった。百日咳以来約一年間に及ぶ病気に衰弱し切った身体も、少しずつ恢復してゆくようだった。私達は一年間の心労からほっと息をついた。
「よくもったものだ」とふり返って考えた。そしてその頃からT式抵抗療法の方のKという女の人に毎日私の家へ来て貰って、十分か十五分ずつ腹を揉んで腸の働きを活気づけて貰った。八月末からは、K氏にも三日に一度位来て貰えばいいようになった。九月なかばからは一週に一度になった。
 堯は少しずつ、ほんの少しずつ、一年間の衰弱から脱して肥っていった。もう他人の…

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