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愚かな一日
おろかないちにち
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第一巻(小説Ⅰ)」 未来社
1967(昭和42)年6月20日
初出「太陽」1920(大正9)年1月
入力者tatsuki
校正者松永正敏
公開 / 更新2008-10-10 / 2014-09-21
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 瀬川が来ているのだなと夢現のうちに考えていると、何かの調子に彼はふいと眼が覚めた。と同時に隣室の話声が止んだ。彼は大きく開いた眼で天井をぐるりと見廻した。それからまた、懶い重みを眼瞼に感じて、自然に眼を閉じると、また話声が聞えてきた。やはり妻と瀬川との声だった。彼はその方へ耳を傾けた。
「……どうして取るのでございましょう?」
「さあ私も委しいことは聞きませんでしたが、医者に御相談なすったら分るでしょう。もし本当にそういうことがあるなら、もう専門医の間にはよく知られてる筈ですから。然し何しろ馬一頭を、そのためにわざわざ殺さなければならないから、たとえ効果が確かでも、広く実際に応用されるわけにゆかないのだと思いますね。私の友人の場合でも、院長が最後の手段として試みたものだそうですから。」
「でも確かにそれで治るものとしましたら……。」
「所が確かに治るとも断言出来ないのかも知れません。多くは体質によるんでしょうから。ただ私の友人の場合は、その手当が体質によく合ったものだろうと思われます。」
「馬一匹どれ位するものでございましょうか。」
「さあ……。そしてまた、どんな馬でもいいというのではないかも知れません。」
「ではお医者に尋ねてみましょうかしら。」
「そうですね。然しそれにも及ばないでしょう。この頃だいぶお宜ろしいようではありませんか。」
「ええ、いくらか宜ろしいようにも思われますのよ、熱もずっと下っていますし、痰も殆んど出ませんから。」
「屹度よくなりますよ。河野君は頭がしっかりしていますし、少しの病気位は頭の力で治るものです。」
「ですけれど、この頃何だか苛ら苛らしてる様子が見えますので、それが私心配で……。そして追々寒くもなりますから。」

 会話はそれきり再び馬のことには戻ってゆかなかった。然し彼はしきりにそれが気になり出した。全く思いも寄らぬ馬というものが、突然其処に現われてきて、自分の病気に重大な関係があるらしい暗示を残したまま、遠くへ去ってしまったのである。彼はそのことをあれこれと推測しながら、一方では妻と瀬川との会話に耳を傾けていた。然し会話は途切れ勝ちに種々のことに飛んでいって、いつまでたっても馬の上に戻って来なかった。彼はそのままじっとしているのが苦しくなった。然し今急に眼が覚めたような風を装うのも、何となく憚られた。
 隣室の会話はなお続いていった。
「……実際ここは気持ちが宜ろしいですね。こんな処に居れば病気なんか自然に治ってしまいます。私も、伺う度毎に余り長くは御邪魔すまいと思いながら、来てしまうとつい泊っていったりなんかして、お見舞に上るのだか遊びに来るのだか、自分でも分らない位です。」
「初めからお遊びのつもりでいらっしゃればいいではございませんか。こちらへ越して来てから、訪ねて下さるお友達も少いので、河野も非常に淋しがってお…

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