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理想の女
りそうのおんな
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第一巻(小説Ⅰ)」 未来社
1967(昭和42)年6月20日
初出「新小説」1920(大正9)年12月
入力者tatsuki
校正者松永正敏
公開 / 更新2008-10-02 / 2014-09-21
長さの目安約 77 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は遂に秀子を殴りつけた。自然の勢で仕方がなかったのだ。
 私は晩食の時に少し酒を飲んだ。私達は安らかな気持ちで話をした。食後に私はいい気持ちになって――然し酔ってはいなかった――室の中に寝転んだ。電灯の光りを見ていると、身体が非常にだるく感じられた。秀子は室の隅の小さな布団に、みさ子を寝かしつけていた。その方へ向いて私は、「おい枕を取ってくれ、」と云った。
「しッ! 赤ん坊が寝ないじゃありませんか。」と秀子は答えた。
 彼女の声の方が私のよりずっと高かった。眠りかかった子供が眼を覚したとすれば、それは寧ろ彼女の声のせいに違いなかった。然し幸にも子供は眼を覚さなかった。私は我慢して待っていた。所が秀子はいつまでも起き上ろうとしなかった。私は雑誌を五六頁読んだ。それから秀子の方を見ると、彼女は子供に乳を含ましたまま、いつしか居眠ってるらしかった。
 私は立ち上って、押入から枕を取り出した。そして押入の襖をしめる時、注意した筈だったが、つい力が余って大きな音がした。秀子はむっくり半身を起した。そして、「静かにして下さいよ、」と云った。
 その言葉の調子が如何にも冷かに憎々しかった。私は癪に障った。それで、また例の通りだとは思いながらも、其処にどたりと枕を投り出して、わざと大きな音がするように寝転んでやった。
「赤ん坊が眼を覚すじゃありませんか。」と秀子は云った。「眼が覚めたら寝かして下さいますか。」
「ではなぜ枕を取ってくれないんだい。」と私は答えた。
「それ位御自分でなさるが当り前よ、私ばかりを使わなくったって……。」
「じゃあお前は、いつも使われてる気で僕の用をしてるのか。心からこうしてあげようという気はないのか。」
「では御自分はどうなの。子供で手がふさがってるからという思いやりは、少しもないんですか。」
 そういう水掛論が喧嘩の初まりだった。然しそれは具体的な事実を離れて、お互の態度に及ぶ抽象的な問題になったために、どちらも云いつのるだけではてしがなかった。そして、口論の最中に俄に沈黙が落ちて来た。苛ら立った憤りが、じりじりと胸の奥に喰い込んでいった。……とは云え、いつもはそれきりで済むのであったが、不幸にも、丁度その時速達郵便が玄関に投げ込まれた。「速達!」という配達夫の声に、「はい。」と秀子は答えたが、立っては行かなかった。その様子と、「はい。」という返事の落付いた調子とに、私は赫となった。
「取っといで!」と私は怒鳴った。
 秀子は黙っていた。
「取っといでったら!」と私はまた怒鳴った。
 秀子は眉根をぴくりと震わしたまま、じっとしていた。私はじっとして居れなかった。枕を取るが早いか、それを秀子めがけて投げつけた。枕は的を外れて、縁側の障子に当り、障子の中にはまっている硝子を一枚壊した。その物音にみさ子が泣き出した。秀子はそれを抱き取った。私は眼…

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