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森の紫陽花
もりのあじさい
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
入力者門田裕志
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2003-06-02 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 千駄木の森の夏ぞ晝も暗き。此處の森敢て深しといふにはあらねど、おしまはし、周圍を樹林にて取卷きたれば、不動坂、團子坂、巣鴨などに縱横に通ずる蜘蛛手の路は、恰も黄昏に樹深き山路を辿るが如し。尤も小石川白山の上、追分のあたりより、一圓の高臺なれども、射る日の光薄ければ小雨のあとも路は乾かず。此の奧に住める人の使へる婢、やつちや場に青物買ひに出づるに、いつも高足駄穿きて、なほ爪先を汚すぬかるみの、特に水溜には、蛭も泳ぐらんと氣味惡きに、唯一重森を出づれば、吹通しの風砂を捲きて、雪駄ちやら/\と人の通る、此方は裾端折の然も穿物の泥、二の字ならぬ奧山住の足痕を、白晝に印するが極惡しなど歎つ。
 嘗て雨のふる夜、其の人の家より辭して我家に歸ることありしに、固より親いまさず、いろと提灯は持たぬ身の、藪の前、祠のうしろ、左右畑の中を拾ひて、蛇の目の傘脊筋さがりに引かつぎたるほどこそよけれ、たかひくの路の、ともすれば、ぬかるみの撥ひやりとして、然らぬだに我が心覺束なきを、やがて追分の方に出んとして、森の下に入るよとすれば呀、眞暗三寶黒白も分かず。今までは、春雨に、春雨にしよぼと濡れたもよいものを、夏はなほと、はら/\はらと降りかゝるを、我ながらサテ情知り顏の袖にうけて、綽々として餘裕ありし傘とともに肩をすぼめ、泳ぐやうなる姿して、右手を探れば、竹垣の濡れたるが、する/\と手に觸る。左手を傘の柄にて探りながら、顏ばかり前に出せば、此の折ぞ、風も遮られて激しくは當らぬ空に、蜘蛛の巣の頬にかゝるも侘しかりしが、然ばかり降るとも覺えざりしに、兎かうして樹立に出づれば、町の方は車軸を流す雨なりき。
 蚊遣の煙古井戸のあたりを籠むる、友の家の縁端に罷來て、地切の強煙草を吹かす植木屋は、年久しく此の森に住めりとて、初冬にもなれば、汽車の音の轟く絶間、凩の吹きやむトタン、時雨來るをり/\ごとに、狐狸の今も鳴くとぞいふなる。然もあるべし、但狸の聲は、老夫が耳に蚯蚓に似たりや。
 件の古井戸は、先住の家の妻ものに狂ふことありて其處に空しくなりぬとぞ。朽ちたる蓋犇々として大いなる石のおもしを置いたり。友は心強にして、小夜の螢の光明るく、梅の切株に滑かなる青苔の露を照して、衝と消えて、背戸の藪にさら/\とものの歩行く氣勢するをも恐れねど、我は彼の雨の夜を惱みし時、朽木の燃ゆる、はた板戸洩る遠灯、畦行く小提灯の影一つ認めざりしこそ幸なりけれ。思へば臆病の、目を塞いでや歩行きけん、降しきる音は徑を挾む梢にざツとかぶさる中に、取つて食はうと梟が鳴きぬ。
 恁くは森のおどろ/\しき姿のみ、大方の風情はこれに越えて、朝夕の趣言ひ知らずめでたき由。
 曙は知らず、黄昏に此の森の中辿ることありしが、幹に葉に茜さす夕日三筋四筋、梢には羅の靄を籠めて、茄子畑の根は暗く、其の花も小さき實となりつ。
 棚して架るとにも…

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