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蝦蟇
がま
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-01-16 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 五月頃から私の家の縁先に、大きい一匹の蝦蟇が出た。いつも夕方であった。風雨の日や、妙に仄白く暮れ悩んだ日や、月のある夕方などには、出なかった。夕闇が濃く澱んでいる時や、細かい雨がしとしと降る時などに、出た。垣根に沿ってのそりのそりと匐っていった。それが如何にも悠然としていた。静かであった。そして大きい力に満ちていた。
 夕食が少し後れたような時、散歩にも出たくないような時、私は紙巻煙草を口にくわえて縁側に寝転びながら、その蝦蟇をじっと見た。私の心は静かであった。蝦蟇も静かであった。それがよく一時間の余も続いた。
「またですか。」
「ああ、面白いからお前も少し見てごらん。」
 私と妻との間によくそんな会話が交わされた。然しそれは別に面白いというのでもなかった。面白いのを通り越して居た。
 蝦蟇は力をこめてぬっと前足を立てた。それから後足を立てると、殆んど同時に片方の前足は一歩進んでいた。そして四本の足の上に大きな厚ぼったい感じのする重い胴体を支えながら、四五歩前方に歩んだ。すると直ぐにどしりと尻を地面に落して止まった。然しそれは静止以上のものだった。静かなうちに動いていた。生きて居た。大きい口をぱくっとやると、その辺のものはすーっと吸い取られた。そして飛び出た両の眼は一つ所に定められて動かなかった。背中の斑点が呼吸のためにかすかに動いていた。
 私の両の眼もじっと蝦蟇を見つめて動かなかった。そして私も呼吸をしていた。私達は二つの別なものでもあれば、また一つのものでもあった。そのままで三十分余りもたつことがあった。勿論私はその時、時間などのことは全く忘れてはいたが。
 何故に? 何のために? ということが私の問題ではなかった。如何にする? 如何になる? ということが私の問題でもなかった。否、凡そ「何」という字のつくことは全く問題ではなかった。それならば?……それは私にも分らない。私はただじっと蝦蟇を見ていた。それが如何にも落付いていた。
 そのうちにあのことが起ったのだ。その時私は何かしら憤っていた。と云って別に腹が立っていたわけではない。憤っていたというのが悪ければ、私全体が苛ら苛らして浮々していたのだ。それは気圧の影響だと思う。気圧は妙に人の心の雰囲気に影響するものである。
 私は或晩、蝦蟇をうつ向けた盥の中に。入れて、上に大きい石をのせて置いた。翌朝蝦蟇は盥の中に居なかった。
 ここに一寸余事を[#挿絵]む――
 私の国の田舎にわくどう爺として通っている一人者の貧しい老人が居た。蝦蟇のことを私の国では俗にわくどうと云うのである。その老人は川魚を取ったり、些細な施与を村人から受けたりして、暮していたが、彼の重な収入はわくどうに在った。蝦蟇を方々から捕えて来ては、それを町の古い薬種屋に売っていた。彼の藁家の庭には、細かい金網を張った檻が幾つもあった。蝦蟇が沢…

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