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湯元の秋
ゆもとのあき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-01-16 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は或る秋の初め、日光の奥の湯元温泉に約二週間ばかり滞在していた。十二月には雪を避けて人は皆麓の方へ下りてゆくという山中なので、日当りのいい傾斜面にはまだ種々な花が咲いているのに、野の草葉はもう霜枯れていた。霜枯れの頃になると、山国の人の心は何かしらしめやかになって、祈願するがような眼を空に向けるものである。そして私も、じっと自分一人の心で、空を流るる雲を見ながら、日々の大部分の時間を過した。
 私は時々散歩に出た。
 然しその散歩は、戸外の空気を吸いたくなって表に飛び出す都会人の散歩ではなかった。室に寝転んで外を見ていると、向うの高山の頂きから雲が現われて静かに大空を流れてゆく、その方向へ大気が動いて、凡てのものが流されてゆくのだ。私もその間に自然に流されるようにして野の間を歩いたのである。
 湯元から二十町ばかり山道を下ると、男体山の穏かな姿が東方に聳えている、戦場ヶ原の高原に出る。広い平らな高原のうちには、恐ろしく澄み切った空気が静かに澱んでいた。そして私の足も、其処まで行けば自然に止るのであった。
 落葉松の大木が七八本すっくと立ち竝んでいる広い高原の片隅には、牛の群れが丈高い雑草を食って居た。小さな番人小屋の入口には、一人の女が日向に坐って小児に乳をやっていた。その側を通っている一筋の道が、平原の真中を真直に横ぎっていた。その道に沿って一軒の茶店の藁屋根が、遠く野の中に見られた。
 私はそれらの景色をただぼんやり眺めた。かの牧牛者等の生活が如何なるものであろうと、また、かの茶店の老女の生活が如何なるものであろうと、それは彼等が自然の一要素としての役目をこの高原で演じていることを少しも妨げなかった。「都会からの遊客は、田舎の人々を単に自然の一要素として見るに馴れている、そしてなぜにそうなったのか?」そういう問いは凡て無益なことであった。私自身も亦自然のうちの一個のものにすぎないではないか。
 道がその野中に歩み入ると、高い雑草が私の足を呑み込んでしまう。草を藉いて仰向に寝転ぶと、直接に私の上に空がある、高原で見らるるすぐ手に取らるるような低い空が、秋の澄み切った冷やかな空が。そして私の下にはすぐ大地がある、草木を枯らしまた芽ぐます黒い土地が。顧ると、小さな甲虫が私の顔のすぐ側に這い出している。じっとしていると、それは私の着物に這いつき、肌に這いよってくる。ただ私の方が、彼等よりいくらか温い肌をしているのみである。
 戦場ヶ原の水は多く中禅寺湖の方へ吸い取らるるので、多くの盆地に見るような湿気が少い。そして草は高く伸びて、牛の群れが戯れるによく、羽の美しい甲虫が這い廻るによく、人の寝転ぶによく、鳥が巣くうによい。じっと寝転んでいると、すぐ顔の上を小鳥が空に舞い上って囀っている。
 そうして私は秋の澄み切った大気のうちに、草の上に横わって長い間じっとし…

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