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生活について
せいかつについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-01-24 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 人の生活には、一の方向が必要である。
 生活の方向とは、云い換えれば、生活する者の頭の方向、眼の方向、従ってまた、仕事の方向などを、一緒にした総称である。更に云い換えれば、自分の一生を通じて何を為すかという、その何をの謂である。
 一生を捧げて何を為そうかという、その何をが少しも定まっていない生活が世にはある。昨日は甲のことを為し、今日は乙のことを為し、明日は丙のことを為そうとする。一生の間転々として、一定の仕事に従事することが出来ない。宛も風のまにまに漂う水草のようなものである。そして一生の終りになって振返ると、結局何にもしなかったという、落寞とした気持になる。そういう人が世にはある。
 私の看る所によれば、それはいけない。
 本当の生活には、よい生活には、一生を通じて何を為すかということ、一生を何に捧げるかということ、それがはっきりしていなければいけない。それがはっきりとしていて初めて、偉大な仕事も為され、力強い生涯も生れてき、あらゆる困難に打勝つことも出来る。
 方向の定まっていない者は歩くことが出来ない。方向の定まっていない船は進むことが出来ない。
 海洋の上に在る一隻の船を想像してみる。何処をさして行くかということが一定していない時には、その船は決して何処へも行けないことになる。時折の偶然な気紛れのままに、あちらこちらに行くことはあっても、それは本当に進むのではなくて、単に彷徨し漂うのみである。而も一朝暴風雨にでも逢えば、沈没するまではそれに捲き込まれて、難を遁れ得ることは極めて少い。
 人の生活に於ても、一定の方向がなければいけない。
 そしてこの方向は、固より単に方向である以上、可なり範囲の広い漠然としたもので宜しい。例えて云えば、実業とか政治とか文芸とか農業とか、そういうくらいのもので宜しい。甲の会社と乙の会社とを問わないし、甲の畑と乙の山林とを問わない。実際その時々の生活状態によって、そう細かく決定されるものではない。然し大まかな一の方向は、必ず必要である。
 その方向によって人の生活は、一時的の多少の曲折はあろうとも、全体としては、堂々と真直に進展してゆくことが出来る。
 方向は必然に一の目的を所有する。そしてこの目的なるものは、人の生活に於ては、手近なものから最終のものに至るまで、無数に存在し得る。云わばその目的は、一定の方向の――無限の距離まで延びている一定の方向の、所々に散在する標石の如きものである。今日の目的があり、明日の目的がある。そして最終のものは、所謂理想である。理想は如何に高くても遠くても構わない。到達出来ないものであっても構わない。ただその理想に至るまでの、無限の道程を連結すべき標石が、所々に散在しておればよい。
 斯くて、動かすべからざる一定の方向があり、その無限の距離の終端に理想の高塔が聳え、それに至るまでの間処々…

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