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城崎を憶ふ
きのさきをおもう
作品ID4249
著者泉 鏡花
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
入力者門田裕志
校正者米田進
公開 / 更新2002-05-20 / 2016-02-02
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 雨が、さつと降出した、停車場へ着いた時で――天象は卯の花くだしである。敢て字義に拘泥する次第ではないが、雨は其の花を亂したやうに、夕暮に白かつた。やゝ大粒に見えるのを、もし掌にうけたら、冷く、そして、ぼつと暖に消えたであらう。空は暗く、風も冷たかつたが、温泉の町の但馬の五月は、爽であつた。
 俥は幌を深くしたが、雨を灌いで、鬱陶しくはない。兩側が高い屋並に成つたと思ふと、立迎ふる山の影が濃い緑を籠めて、輻とともに動いて行く。まだ暮果てず明いのに、濡れつゝ、ちらちらと灯れた電燈は、燕を魚のやうに流して、靜な谿川に添つた。流は細い。横に二つ三つ、續いて木造の橋が濡色に光つた、此が旅行案内で知つた圓山川に灌ぐのである。
 此の景色の中を、しばらくして、門の柳を潛り、帳場の入らつしやい――を横に聞いて、深い中庭の青葉を潛つて、別にはなれに構へた奧玄關に俥が着いた。旅館の名の合羽屋もおもしろい。
 へい、ようこそお越しで。挨拶とともに番頭がズイと掌で押出して、扨て默つて顏色を窺つた、盆の上には、湯札と、手拭が乘つて、上に請求書、むかし「かの」と云つたと聞くが如き形式のものが飜然とある。おや/\前勘か。否、然うでない。……特、一、二、三等の相場づけである。温泉の雨を掌に握つて、我がものにした豪儀な客も、ギヨツとして、此れは悄氣る……筈の處を……又然うでない。實は一昨年の出雲路の旅には、仔細あつて大阪朝日新聞學藝部の春山氏が大屋臺で後見について居た。此方も默つて、特等、とあるのをポンと指のさきで押すと、番頭が四五尺する/\と下つた。(百兩をほどけば人をしさらせる)古川柳に對して些と恥かしいが(特等といへば番頭座をしさり。)は如何? 串戲ぢやあない。が、事實である。
 棟近き山の端かけて、一陣風が渡つて、まだ幽に影の殘つた裏櫺子の竹がさら/\と立騷ぎ、前庭の大樹の楓の濃い緑を壓へて雲が黒い。「風が出ました、もう霽りませう。」「これはありがたい、お禮を言ふよ。」「ほほほ。」ふつくり色白で、帶をきちんとした島田髷の女中は、白地の浴衣の世話をしながら笑つたが、何を祕さう、唯今の雲行に、雷鳴をともなひはしなからうかと、氣遣つた處だから、土地ツ子の天氣豫報の、風、晴、に感謝の意を表したのであつた。
 すぐ女中の案内で、大く宿の名を記した番傘を、前後に揃へて庭下駄で外湯に行く。此の景勝愉樂の郷にして、内湯のないのを遺憾とす、と云ふ、贅澤なのもあるけれども、何、青天井、いや、滴る青葉の雫の中なる廊下續きだと思へば、渡つて通る橋にも、川にも、細々とからくりがなく洒張りして一層好い。本雨だ。第一、馴れた家の中を行くやうな、傘さした女中の斜な袖も、振事のやうで姿がいゝ。
 ――湯はきび/\と熱かつた。立つと首ツたけある。誰の?……知れた事拙者のである。處で、此のくらゐ熱い奴を、と顏をざぶ/\…

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