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病室の幻影
びょうしつのげんえい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-01-28 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 広い病室。一方の壁に沿って寝台があり、窓の方を枕に一人の患者が眠っている。少し離れて、二脚の椅子が窓際に並んでいる。他方の壁に沿って、入口の扉に近く、床に二枚の畳敷があり、年若な女と看護婦とが、布団を並べ小さくなって眠っている。次に大きな瀬戸の火鉢があって、洗面器がかかって湯気が立っている。次に窓に片寄せて小形の卓子があり、花籠や果物籠や薬瓶やコップの類が雑然とのっている。窓には白いカーテンが下してある。電灯に黒い紗の覆いがしてあって、室の中は薄暗い。真夜中過ぎの静けさ。窓際の二脚の椅子に、ぼんやり人影が現われる。一人は肥っており一人は痩せているが、どちらも同じ顔立で、同じく小洒の白い寝間着を二枚重ね、同じく小洒の広帯を前に結び、同じく患者の方をじっと見つめている。そして静かな声で話し出す。

 A――お前はいつも痩せて悲しそうな顔をしているね。
 B――お前はまた、いつも肥って嬉しそうな顔をしているね。
 A――そうさ、俺は嬉しいのだ。
 B――俺は悲しいのだ。
 A――だがお互に、もう幾日の生命でもない。屹度恢復するなどと、医者は気安めなことを云ってるが、そうでないことを、俺はよく知っている。
 B――それを知っていながら、お前は悲しくはないのか。
 A――少しも悲しいとは思わない。俺は常に、いつ死んでもよいような生き方をしてきたのだ。生きている間は、生きることを楽しみ、死ぬ場合には、死ぬことを楽しむのだ。生きたいとか死にたいとか、そういう欲求は俺にはない。俺にとっては、生も死も結局同じものだとしか考えられない。
 B――お前は極端な虚無主義者だ。俺はそういう虚無主義を憎む。俺に云わすれば、生は凡てであり、死は無である。生きてる間こそ、この俺という者もあり、俺の生活もあり、人生もあるのだ。死はそれらのものを凡て滅ぼしてしまう。生も死も同じだというお前には、生活もなく、人生もなく、お前自身もなく、ただあるのは虚無ばかりだ。
 A――いや、俺には常に喜びがある、その喜びを楽しむ俺自身がある。
 B――然しお前が死んでしまったら、その喜びはどうなるのだ、その喜びを楽しむお前自身はどうなるのだ。
 A――それがどうなるかは、俺の知ったことではない。俺はただ、生きることを楽しみ、死ぬことを楽しむだけだ。生きた後はどうなるか、死んだ後はどうなるか、そんな先のことを考えてはしない。所がお前は、生きることや死ぬことを考えはしないで、生きた後のことや死んだ後のことなど、馬鹿げたことばかり考えている。俺に云わすれば、お前のような極端な夢想家にこそ、本当の生も死もなくて、ただあるのは虚無ばかりだ。
 B――いや、俺には常に理想がある。自分自身をより善くし、自分の周囲の者達をより善くし、他人をもより善くしたいという、強い欲求がある。そのために俺は、今死んではならない、もっと生…

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