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現代小説展望
げんだいしょうせつてんぼう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-07-09 / 2014-09-18
長さの目安約 72 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

      小説の本質

 ある科学者がこういうことをいった――「科学に没頭していると人生の煩わしさを……人生そのものをも……忘れてしまう。科学は人生なしに成立する。それが、初めは淋しい気もしたが、この頃では却って嬉しい。」
 淋しいか嬉しいか、それは別問題として、実際、科学は人生なしに成立する。人生がなくても……人間がいなくても……二つの点を結びつける線のうちでは直線が一番短いだろうし、空気は酸素や窒素やその他のものから出来てるだろうし、光は一秒間に約三十万キロ走るだろう。そういう事実を見出したのは人間であるが、事実そのものは人間の存在とは何の関係もない。
 右のことは、数学や自然科学ばかりでなく、他の学問についてもいえる。肉体の細胞が如何にして癌に変化するかを、医学は説明する。夢の中で頭脳が如何に敏速な活動をなすかを、心理学は証明する。資本主義が如何なる機構の上に立つかを、経済学は解剖する。その他種々。然しながら、人間の肉体的現象が、或は精神的現象が、或は社会的現象が、如何に闡明されようとも、人間の「生きてるという感じ」は――生活感は――なおいえば、生活そのものは――視野の外に残されている。だから少々詭弁めいたいい方をすれば、人間生活がなくてもそれらの学問は成立する。恰度、芸術がなくても美学が成立するように。
 こういう分りきったことをいう所以は、芸術は直接に人間生活を内包するということを、ここに断っておきたいからである。直接に生活を内包するというのは、見方を変えれば、生活の直接の現われだといってもよい。
 人間生活なしには芸術は成立しない。人間生活のない音楽は単なる音響であり、人間生活のない絵画は単なる色彩である。
「自然」は神の宮にして、生ある柱
時おりに捉えがたなき言葉を漏らす。
人、象徴の森を経て 此処を過ぎ行き
森、なつかしき眼差に 人を眺む。
長き反響の、遙なる遠、奥深き暗き統一の夜のごと光明のごと
広大の無辺の中に、混らうに似て、
聲と 色と 物の音と かたみに答う。
(ボードレール、鈴木信太郎訳)
 これは象徴派詩人の自然観であるが、それは自然に対する単なる視察ではなく、自然に対する生活的味到である。そういうところから芸術が生れる。
 然しこれは詩であって小説ではない。
 トルストイに「三つの死」という短篇小説がある。その終りの方に、一本の木が切り倒されることが描いてある。朝早く、東がやっと白みかけたころ、森の中で、一本の木が斧で切られている。その斧の不思議な音が、森の中で繰返される。鶺鴒が別な木の枝に逃げる。
下では斧がますますこもった音をひびかせ、みずみずした真白な木屑が露を帯びた草の上へ飛んで、一撃ごとに軽い裂けるような音が聞えた。木は身体全体をびりびりふるわせて、その根の上で喫驚したように揺れながら、曲っては素早くもとへ返った。一…

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