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初秋海浜記
しょしゅうかいひんき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-05-28 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 仕事をするつもりで九十九里の海岸に来て、沼や川や磯を毎日飛び廻ってるうちに、頭が潮風にふやけてしまって、仕事はなかなかはかどらず、さりとて東京へ帰る気もしないで、一日一日をぼんやり過してるうちに、もういつしか初秋になっていた。
 潮風に頭のふやけた気持は、丁度軽い熱が発したのに似ている。夏の太陽の直射と温風とに、皮膚が赤黒く焼かれると、そのひりひりした熱っぽい感じが、筋肉の内部にまで浸み透って、身体中が熱いぽってりとした重みで意識される。頭もやはり同じである。何とのう頭脳のしんの方が熱っぽく、重くどんよりと濁り淀んで、一切の冴えと敏活さとを失ってしまう。
 そういうところに、ふいと初秋の気が感じて、私は眼覚めたような心地になった。初めはただ、葦の茂みをさらさらと渡る凉風だったが、それに気付いて見廻すと、空の色、海の色、蝉の声、虫の声、凡てが秋の気を帯びていた。そして、海浜の松林の中に孤立した旅館では、滞在客がいつのまにか帰り去ってしまって、家の人以外には、私一人置き忘られたように、ぽつねんと居残ってるのだった。
 広々とした平地の海浜には、夕方の薄明がない。日のあるうちはぱっと明るいが、その日が見る見るうちに西の地平線へ沈んでしまうと、すぐにとっぷりと暮れている。それと同じに、夏と秋との間の薄明がない、と云えば変だけれど、ぎらぎらした夏から澄みきった秋へと、一飛びに季節が移ってゆく。少くとも私はそう感じて、広いがらんとした室の中に、驚いて眼を見張ったのだった。
 秋の突然の訪れは、人の心をしみじみと落付けさせる。私は初めて夜遅くまで、机に向って仕事をした。それに疲れてくると、何とのう眠るのが惜しまれて、書物を出して読み耽った。いろんな種類の小さな虫が、一枚閉め残した雨戸の口から、電灯の光をしたって飛び込んでくる。それが電灯のまわりから机の上一面に、渦巻き撒き散らされる。不思議なことには、蚊は一匹もいなかった。
 虫が書物の間に挟らないよう、注意しいしい頁をくっていると、ふと、雨滴の音が耳についてきた。遠くごーっと地響きをさせ、近くざーっと捲き返してる、二様の波音の間に交って、そして金属性の虫の声の合間に、ぽたりぽたりと、軒から砂の地面へ落ちる雨滴の音が、はっきりと聞えている。
 私はその音に耳をかしてるうちに、変にいぶかしい気持になって、開いている雨戸の間から覗きに立っていった。空には一面に星が輝いていて、雨の気配は更にない。おかしいな、と思う心が働くと共に、私はもう下駄をつっかけて、縁側から庭に降り立っていた。
 爽かなそして露っぽい夜だった。月のない空には、あらん限りの星がきらきら輝いて、南から北へ走る茫と仄白い銀河を中心に、低く高く懸っている。その一つ一つが、暗い空のなかに、はっきり浮出して冴え返って、見つめていると気が遠くなるほど、無限の距離に散ら…

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