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川端柳
かわばたやなぎ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-03 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 或る刑務所長の話に依れば、刑期満ちて娑婆に出た竊盗囚が再び罪を犯すのは、物に対する「欲しい」という感情からよりも、「惜しい」という感情からのことが多いという。「欲しい」という感情はまだ押えることが出来る。然し「惜しい」という感情はどうにも出来ないとか。
 刑務所から娑婆に出た喜びは、自由の喜びという一言でつくされる。何をしようと何処へ行こうと全く自由なのだ。「自由の身となった、自由の身となった、」そう彼は心に叫びながら歩き廻る。そして目につく凡てのものが、如何にも美しい輝きを帯びている。まだ頭の中に残ってる刑務所内の生活、厳めしい建物、陰欝な空気、看守の顔、そういうものに対照して、何と娑婆の世界が輝いてることか。その輝かしい中に、一際輝いてるもの、例えば、ダイヤの指輪が、彼の注意を惹きつける。彼は本能的にその方へ寄ってゆく。欲しいなと思う。まではまだ抵抗出来るけれど、次の瞬間には、惜しいなと思う。盗めば盗めるのに惜しいなと思う。俺が盗まなくても、どうせ誰かが盗むのだろう――(盗人の心理の面白さよ)――誰かが盗むだろう、むざむざと人に盗ませて……実に惜しいな、と思う。そこまでいくと、もう抵抗出来ない。何か偶然の障碍が起らない限りは、彼はそのダイヤの指輪を盗む。
 そういう話を聞いた時、これは面白いと私は思った。それが頭に残ってたせいかどうか……不思議な夢をみた。
 或る晩、Aという老人がひょっこりやって来た。大黒帽を被って、柄頭に鳩の彫刻のついている杖をついて、白い粗髯をなでる癖のある、普通に云えば剽軽なよく云えば脱俗的な老人である。その老人が、玄関につっ立って、皮肉なような擽ったいような笑顔で、にこにこしている。――(と、これからは夢物語である。)
「どうしたんです。」と私は尋ねた。
「なにね、いま万引をしてきたんだよ。」
「万引。」
「ああ、面白かったよ。だが、一寸危いと思うんだが……。」
 私はあたりを見廻した。誰もいない。玄関が夕方のように妙に薄暗い。気がついてみると、老人は変に憂欝な顔笑をしている。
「じゃ一緒に行きましょうか。」
 そして私達はこっそり家を出た。
 何処へ行くつもりか、それは分らなかったが、老人は鳩の柄の杖をついて、ことりことりと飄逸な足取りで歩いてゆく。私もそれに歩調を合して、軽快に足を運んだ。
 長い間、薄暗い裏町を通った。一人の人にも出逢わなかった。それからやがて、賑やかな大通りに出た。大商店の飾窓がずらりと並んで、明るい灯火が連って、街路は掃き清められていた。ただ、馬車も電車も自動車も通らず、人影一つなく、美しく光り輝いているきりだった。
「そろそろ、初めましょうか。」
「ああ、よかろう。」
 そこで私達は、或る大きな呉服屋にはいっていった。やはり誰もいなかった。がらんとした明るい広間に、陳列棚が縦横に並んでいた。その棚に…

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