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父母に対する私情
ふぼにたいするしじょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-03 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は初め、父と母とのことを書くつもりだった。そして愈々ペンを執って原稿紙に向うと、それが書けなくなった。
 父と母とに対する私の感情のうちには、何かしら神聖なるものがある。その神聖なるものが、父と母とのことを書くのの妨げとなる。父と母とを自分からつき離して客観的に眺め、具体的に描写し、それを公表する、そういったことを今の私は為し難い気持でいる。或は今後、父と母とのことを、父と母とに関係ある何かのことを、小説や随筆などの中に、書くかも知れないしまた書かないかも知れないが、今の気持ではとても書けないしまた書きたくもない。
 私の父と母とは、私のものである。而も私の胸の中の最もよき部分に、手を触れたくない神聖な奥殿に、祭りこまれてるものの一つである。畏敬すべき尊いなつかしい記念、そういった感じのするものである。それに手をつけてあばき出すことは、今の私の本意ではない。
 私情をすてて赤裸々な心で物を書くことが、芸術にたずさわる者の態度であるべきことを、私は知らないではない。然しながら、そういう態度の上に――もしくは奥に、強く燃えてる熱意こそ、芸術の生命であることを、私は知らないではない。そして私のそういう熱意は、今の所では父と母とのことを書く方へ向ってこない。
 それ故に私は、父と母とのことを書くのを止めて、父と母とに対する私の感情を書くことにする。それならば書ける、何の妨げもなしに書ける。そして、父と母とのことが書けない理由をくどくどと述べた所以も、それがやがて、父と母とに対する私の感情の一部をなすものであるからである。
 私は自分の一身上のことについて、父母と真面目な話を交わしたためしが、殆んどない。思想とか感情とか、そういった方面についても、父母と真面目に語り合った記憶がない。それは、十五歳の時中学校にはいってから、父母の膝下を離れて暮してきたために、私はいつまでも父母にとっては甘えっ児にすぎなかったからでもあろうが、単にそればかりでもなかったように思われる。親と子という関係に対する、余りに微細な鋭敏な感情が、私のうちに常に働いていたために、また掌中の玉を愛しいたわるというような、盲目的な一図な愛情ばかりが、父母のうちに常に働いていたために、私達の間には真面目な話題が顔を出さなかったものらしい。
 それが、今になって考えると、非常に淋しく思われる。然し父母にとっては、私よりも更に淋しかったろうと思われる。
 私は兄弟も姉妹もない全くの一人子である。それなのに、田舎の父祖の業を継ぐことをしないで、中学を卒業するとすぐ東京に出で、文学の方面に進み、東京で暮すようになった。そんなことが、何等の障害もなく、全く私一人の意志で、すらすらと運ばれてしまった。然しながら、私を故郷に引止めたい感情を、母は多分に持っていたろうし、また、政治や実業などに関係ある生活をしてた父は…

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