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傍人の言
ぼうじんのげん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-06 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「文士ってものは、こう変に、角突きあってる……緊張しあってるものだね。」
 そうある人が云った。――この人、長く地方にいて、数ヶ月前に東京へ立戻ってきたのであるが、文学者や画家に知人が多く、といって自分では何にも書きも描きもしないで、少しばかり教師をして、多くは遊んだり読んだり観たりしてるのである。実際的には余り役に立たない存在であるが、いろんな点で、私が敬愛している友人なのだ。――それが、いきなり右のようなことを云い出したのである。私には、とっさに、理解できなかった。
 聞いてみれば、実は、或る記念会のことなのである。――三四十人集まった会合だが、そこに来てる文士たち、互に知り合いの仲で、挨拶をしあったり話をしあったりしていたが、その態度がおかしいというのだ。煙草の吸い方、口の利き方、笑い方、眼のつけ方……そのどこにも、ほんとに打ち解けた朗かさがなくて、わきから見てると、お互に緊張しあってる……俗に云えば、同じ職業の女同士のように、角突きあってるとしか見えない……。
「それでいて、個人的に逢えば、誰もみな好人物だし、酒をのめば、しめくくりのないだらしなさをさらけだすんじゃないか。それが、公の席上で顔を合わせると、好人物同士が、だらしのない者同士が、お互に緊張しあってるんだから、僕たちから見ると、おかしいんだ。」
 そう云わるれば、私にだってよく分る。各方面の人々が集まってる場所では、文学者は最も率直な――無遠慮無作法だと云えるほど自由な――振舞をなすことが多いのに比して、文学者だけの集合の場合には、実際、一種の冷たい緊張した空気がかもし出されて、体面を保つというのか、気兼ねをするというのか、隙をねらいあってるというのか、とにかく、お互いに襟をつくろっておるという風になりがちである。会場から外に出て、初めてほっとする者が、いくらもあることだろう。
 それを、文学者の非社交性だと一言に片付けることは、妥当でない。文学者にはむしろ、人なつっこい淋しがりやが多いものだ。常住孤高な境地にあるというようなのは少ない。してみると、右のような現象は、ふだん、物を観察したり書いたりしている態度――仕事の上の一種のポーズ――それの不知不識の現れから起るのではあるまいか。顔をつき合せることによって、お互に相手の書いたものを読んでるという気持、転じて、お互に相手から読まれているという気持になるのであろう。ところで、物を書く以上は、書くに足りるだけのものを書きたい、というほどの覚悟は誰しも持ってることだし、そうした仕事の上の心構えが、不知不識にのぞきだすのであろう。
「然し、」と友人は断乎として云う、「そんなことでは、よい作品は書けない。書かないでもよいようなものを書くのは、固より愚劣だが、よいものを書こうとする緊張感は、却って創作の邪魔になりはしないかね。緊張感のために硬ばった作…

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