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文学の曇天
ぶんがくのどんてん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-09 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 近頃、文壇に懐古的気分が起ってきているのが眼につく。新聞雑誌の上に、明治時代の、或は大正初年頃の、さまざまの追憶や思い出が数多く掲載されているようである。
 この懐古的気分は、どこから由来したのであろうか。
 現在の吾国の文学は、その伝統が明治時代から初まったといっても、過言ではあるまい。少くとも、国民性に根ざす情意の色合を別にして、思惟の形体や表現の形式については、そう云えるであろう。吾々は半ば西洋流に物を考えるようになってしまった、というその半ばが、文学に於いてはまさしく半分だけの重要さを持つものであって、それを引去っては、文学は不具になる。
 この伝統の発生時代から、相当の年月――振返って眺めるのに適宜な視距離を得るだけの年月――が経過した。そのために、明治時代の再認識が企図せられ、明治文化の研究が進められるのは、当然のことであろう。
 然しながら、現在の懐古的気分は、そうした真面目な研究心の裏付を持つことが、甚だ少い。文芸を取扱う新聞雑誌に発表されてる多くの文章、追憶や思い出は、単なる昔話に終ってるのが大多数で、批判的要素の欠乏が甚だしい。全くそれは単に懐古的な気分から生れた過去のお話に過ぎない。ごく少数のものを除いて、幾多の文章や、談話会の記事など、例はいくらも挙げることが出来る。
 文壇に於けるこの懐古的気分には、種々の誘因があるかも知れない。「明治文化研究」其他の真面目な研究団体からの気運の波及、明治維新以後の史実に手をつけ初めた大衆文学からの影響、実話物流行の一つの派生的な現われ、或は、近頃の名文章たる谷崎潤一郎氏の「若き日のことども」などからの影響、其他種々のものが数えらるるであろう。
 然し、それらと全く性質の異った一つの誘因を、私は認める。そしてそれがこの小文の主題でもある。
 懐古的気分から生れた追憶や思い出、過古に対する枇判が欠乏し、未来に対する進展力が更に無い、単なる昔話、そういうものが頻繁に現れるということは、どこかに、一種の停滞があることを暗示する。どこかに、一種の淀みがあることを思わせる。之を逆に云えば、何等かの停滞や淀みから、懐古的な気分が生じ、批判の乏しい進展力のない昔話が栄えるのである。
 こうした停滞や淀みは、文学の転向期には往々ありがちのものであるが、現在のそれは、更に陰欝なものを思わせる。固より、一方には、作家等の側に於ける無気力もあるかも知れないし、他方には、文学として製造された短篇作品の過剰から来る、文学の魅力の喪失もあるかも知れない。然しそれよりも、他の陰欝なもの、日の光を遮る雲のようなもの、云いかえれば文学全般の曇天を、更に思わせるのである。
 文学の曇天、このことを云う前に、これを分りやすくするために、この頃新たに自由主義ということが唱えだされた所以を考えてみるのも、無駄ではあるまい。
      *…

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