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故郷
こきょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-09 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「もう遅すぎる、クレオンよ、わしの魂はもうテエベを去った。そして、わしを過去に結びつけていたあらゆる絆は断たれた。わしはもう国王ではない。富も、光栄も、我身さえも棄て去った、名もない一人の旅人に過ぎないのだ。」
(アンドレ・ジィド――「エディプ」)
 こういう言葉のうちには、何かしら悲壮な魅惑的なものがあって、人の心を打つ。それは単なるセンチメンタリズムから来るのではない。
 あらゆる仕事や人事関係を棄て去り、過去のあらゆる絆を断って、自分は名もない一人の旅人に過ぎないと宣言することは、而も真実に宣言することは、普通のセンチメンタリズムやヒロイズムを乗り越した境地からでなければ出来ない。そして、人生に対して真摯な態度を取れば取るほど、そうした境地に追いこまれることが多い。
 だが、私が茲に云いたいのは、他のことである。即ち、あらゆる絆を断って、自分は名もない一人の旅人に過ぎないと宣言することは、単に孤独の是認のみではなく、孤独ならざるものの獲得の希望が含まれていることである。人生に於ける一の故郷を棄てて旅立つことのうちには、やがて第二の故郷を獲得する希望が含まれている。エディプの生活はあれで終ったのではない。劇は最後の幕を下しても、幕外への――将来への拡がりを持つ。その拡がりのために、アンチゴオヌが必要であった。盲目のエディプの手を引いてくれる娘アンチゴオヌが必要であった。
 もしも、エディプにアンチゴオヌがいなかったならば……こう想像することは吾々には堪え難い。堪え得るのは何等かの意味での超人であろう。旅立つに当って、吾々は大抵アンチゴオヌを必要とする。而も観念や思想の中にではなく、如何にささやかであろうとも具体的な何かの中にである。
 具体的な何か……この中に人間性の秘密がある。このために、ラスコーリニコフは最後に無智な少女ソーニャの許に走った。そして「罪と罰」の後に来るべき「新らしき物語」のために、シベリアに於けるラスコーリニコフにはソーニャが必要であった――如何なる偉大な観念や思想よりも。
 さりながら、自分は名もない一人の旅人に過ぎないと真実に宣言することは、容易ではない。そうした旅立ちは、更生への途によりも没落への途に通ずることが多い。そして不思議なことには、没落への途を辿る者は、初めからそんな宣言なんかはしない。恐らくは出来ないのであろう。また、そういう人々に限って、アンチゴオヌやソーニャを持ち得ないことが多い。偶然の運命によることもあろうけれど、それよりも、そうした伴侶を発見するだけの誠実さを持ち得ないほど卑怯になっているからである。
 発見するだけの誠実さを持ち得ないほど卑怯に……この言葉を私は今考える。それと共に、人生に於ける魂の故郷でなく、普通の故郷のこと――吾々が生れた土地、或は幼年時代を過ごした土地のことを、想ってみるのである。
 …

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