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幻覚記
げんかくき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-15 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

      一

 筑後川右岸の、平坦な沃野である。消く水を湛えた川べりに、高い堤防があって、真直に続いている。堤防の両側には、葦や篠笹が茂っていて、堤防上の道路にまで蔽いかぶさり、昼間も薄暗く[#「薄暗く」は底本では「薄晴く」]、夜は不気味である。
 その堤防の上を、まだ夜明け前の頃、私は母と二人で歩いていた。私は七八歳だったが、別に恐さも不気味さも感ぜず、自分の村から半里余りも来たろうというのに、足も弱っていなかった。母と二人で、急いで歩いていった。
 肺病でねている父のために、薬を買いに行くのである。四里ほどはなれた或る町に、肺病に特効の秘薬があって、その薬をのめば、体内の病毒悪血を忽ちに排出してしまうのだ。然し父は、その薬の服用を承諾しない。母と私とは、父に内証でその薬を買いに行くので、夜中に出かけて、午頃までには帰って来なければならない。
 川の堤防にさしかかった頃、もう夜が明けそうだった。道を急がねばならなかった。
 人通りもなく、風もなく、生きものの気配もなかった。堤防の一方は深い川で一方は広い水田であるが、それらは目に見えず、葦や篠笹の茂みの中は、トンネルのようだった。茂みの葉先がさらさらと袖に触れ、時々、蜘蛛の糸が顔にかかる。でも私は、母と一緒なので恐くなかった。提灯もつけず、ぼーとした星明りをたよりに、道を急いだ……。
 そのことが、ただそれだけのことが、私の脳裡にはっきり刻みこまれていて、時々思い出されるのである。
 然し、事実は違うようだ。肺病の秘薬のことなど、先年帰国の折、人に聞いたが分らなかった。また父は、私の七八歳の頃には健康で、肺病になったのはずっと後年である。第一、母と二人で薬買いに夜中に出かけることが、既におかしい。
 それならば、私は右のことを、夢にみたのであろうか、くり返し夢にみたのであろうか。或は幾つもの夢が集まって、右のような幻覚が出来上ったのであろうか。
 葦や篠笹の茂った堤防は、現実に存在する。私の生れた農村から半里余りのところに、平野の中に真直に長く続いている。昼間もあまり人通りがなく、何か兇事の噂でも起りそうなほど、淋しい場所である。
 其処を、父のために母と二人で歩いていたということが、私の心を惹くのである。父も母も既に世に存しない時になって、父母のことを偲べば、心の底に澱んでくるものは結局、父のために、そして、母と一緒に、とそれだけに要約される。如何なる人も、何等かの意味で、夜明け前の薄暗い堤防の上を、父のために歩いたことがあるだろう、更に一層、母と二人きりで歩いたことがあるだろう。この感懐、単なる感傷ではない。兄弟姉妹のない一人児の私にとっては、殊にそうである。

      二

 私の生家は筑後川流域の農村にあり、親戚は多く福岡市内に散在している。私は親戚の家に寄寓して、市内の中学に通い、休暇の間…

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