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ふざけた読書
ふざけたどくしょ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-18 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 某氏ある時、年賀状の返信を書いていた。固より、こちらから先に賀状を出すような人ではない。受取ったものに一つずつ返信を書いてゆくのである。然るに賀状の中には、往々、姓名だけで住所のついていないのがある。某氏は遂に筆を投じて、歎息して云う。「住所を書きこむくらいの配慮はしておいて貰いたいものだ。人に返信を書かせるばかりか、名簿をくって住所を探し出すの労をもとらせる。こんなのは却て礼を失するものだ。」
 そういう気分の時には、賀状を書くべからずである。

 某氏ある時、数冊の寄贈書の中から一冊を選び、炬燵かなにかにあたりながら、その書物を覗こうとすると、折り畳みのまま裁断してないものだった。彼はその紙をぱらぱらとめくって、歎息して云う。「書物の縁を裁つくらいの配慮はしておいて貰いたいものだ。人にわざわざ読ませるばかりか、頁を切るの労をも取らせる。こんなのは読者に親切な所以ではない。」
 そういう気分の時には、書物を読むべからずである。

 縁を裁たないもの、フランス式の仮綴の書物は、昔は甚だ少なかった。現在では非常に多くなった。高価な贅沢なものには殊にそれが多い。――そういう書物の頁を、読むに随って切ってゆくことが、得も云えぬ楽しみだった時代がある。またそういう年齢もある。(雑誌については、読むところだけの頁を切ることが、いつも変らぬやり方らしい。)けれども、読むに随って頁を切ってゆくことは、よほど堅固な製本のものでなければそれに堪えない。また物によっては、それは興味を減損することもある。
 更に、某氏の言がある。「僕は縁を裁たない書物なら、一度にすっかり頁を切ってしまう。それから、先ず扉を見、序文があればそれを読み、次に奥付を見、跋があればそれを読み、そして徐ろに、全体の頁をぱらぱらめくってみる。そういう風にして書物を眺めたり弄ったりしてるうちに、大体の内容は一通りのみこめる。それによって、精読すべきかどうかを決定するのだ。」
 これは、少々ひどすぎる。書物をもてあそんでるうちに、その内容がいくらか分ってくるということのうちには、非常に危険な錯覚が交ってるのは、常識によっても明かである。一つの著述が種々の体裁の書物として出版されている場合には、どうなるであろうか。要するに、目にふれただけの文字とその可能な延長の範囲内に於てしか、理解されてはいないのである。

 某氏ある時、一冊の長篇小説を取上げ、作者が何を本当に云いたかったのか、手取り早く知るために、先ず最後の一章を読んだ。さっぱり分らない。次にその前の一章を読んだ。少し興味が持てる。次にその前の一章を読んだ。面白い。次にその前の一章を読んだ。つまらない。変だなと思って、更にその前の一章を読んだ。……かくして、某氏は遂にその小説を一章ずつ逆に読んでしまったのである。――読後の感想を聞いてみると、極めて正しいそ…

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