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十一谷義三郎を語る
じゅういちやぎさぶろうをかたる
作品ID42554
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-18 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十一谷君とは大正十年以來の交誼を得ていたが、その間の十一谷君と切り離せないものは、碁、麻雀、煙草、古い反故るい……。
 十一谷君が同人雑誌「行路」の一員だった頃、やはりその同人の一人だった三宅幾三郎君と、私はよく碁をうって、遂に十一谷君をも碁道に引入れてしまった。其後十一谷君の進歩著しく、私たちと互先の手合になり、顔を見れば早速碁盤を持出す始末で、十年前、二人とも急な仕事をもって熱海に行った時など、一週間、原稿は一枚も書かずに碁をうってばかりいたことがある。川端康成君、故直木三十五君なども、碁の仲間だったが、十一谷君と最も番数多く碁をうったのは、住所が近かったせいか、恐らく私であろう。十一谷君の碁は堅実、私の碁は大雑把で、棋風は異っていたが、勝負の数は互角だった。先年、十一谷君が逗子に引込む時、また碁をかみながら、「結局勝負なしで、長年一局の碁をうち続けてきたようなものだ。」と笑ったことがあった。
 近年、十一谷君は麻雀にもひどくこりだして、碁と同様、そのために夜を徹することも屡々だったらしい。仲間は故令弟活太郎君をはじめ、身辺の若い人たちだった。私も三四度加わってみたが、あの面倒くさい勘定がよく分らず、象牙と竹と張合せの牌の感触を楽しむ域に達せず、ただがちゃがちゃと騒々しく忙しいだけなのに癇癪を起して、「麻雀は娯楽でなく無益な労働だ。」という説を立てて非難したが、十一谷君は抗弁もせずにただ笑っていた。
 ふだん、書斎で、十一谷君はしきりに茶をたしなんでいた。それも玉露の香ばしいやつで、夜更しをする時などは、何よりも茶が必要だったらしい。あの禿げあがった額、痩せた体躯、腰をまげ加減な姿勢などを、茶とむすびつけて、私は冗談に「茶老人」と呼んでいたこともあるが、その茶老人、私から皮肉られても、ただにこにこと、静かな微笑を見せるきりだった。
 十一谷君の愛煙は世に有名である。必ずバットに限るのであって、それを一日に少くとも十五箱は吸っていた。遂には、バットの模様の二匹の蝙蝠をつけた原稿用紙を、わざわざ拵えさしたほどだった。一日に十五箱といえば百五十本、睡眠時間や食事其他の時間を差引いて、一時間に幾本、一本が幾分と、つまらない計算を私はやってみたこともある。而も十一谷君は、蝋引きの吸口を必ず用いて、普通の愛煙家のようにじかに吸うことがなかった。或る時、母堂の心配そうな打明話によると、眼や顔をふくハンケチが茶色くなり、便所の朝顔も茶色くなり、襯衣も茶色くなり、つまり全身から煙草の脂が吹き出してるらしいとのことだった。それには私も驚いたが、本人は平気だった。徹夜をして、黎明の頃に、バットの真髄が分るのだと云っていた。身辺にまきちらしたバットの空箱の、金の蝙蝠と緑の地紙とが、黎明の光に何とも云えぬ色合を呈し、手の指先が金粉に染められていると共に、恍惚たる感を与えるのだと…

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