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砂漠の情熱
さばくのじょうねつ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-21 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 バルザックは「砂漠の情熱」という短篇のなかで、砂漠をさ迷う一兵士が一頭の雌豹に出逢い、生命を賭したふざけ方をしながら数日過すことを、描いている。描いているというよりも寧ろ、恐らくは何か聞きかじった話を元にして、いろいろ空想している。――それは砂漠のなかに於ける情熱であって、砂漠それ自体の情熱ではない。
 ところで、砂漠それ自体の情熱というものも、想像されないことはない。そしてつまりそれは、砂漠的精神の情熱ということになる。
 話はちょっと飛ぶが、後楽園のスタジアムはあまり恵まれた場所ではない。後楽園の深い木立は後方は隠れて見えず、前方は省線電車の高架、それから雑多な建物。スタジアムの内部は芝生の色も褪せ、風吹けば黄塵が渦巻く。だが、不思議なことに、天気の日には殆ど常に、前方の空中を或は高く或は低く、二羽か三羽かの鳶がゆったりと舞っている。野球観戦に疲れた眼をあげて、その鳶の飛翔を眺める楽しみを、多くの観客は体験していることであろう。――これを逆に云えば、鳶の見えない後楽園スタジアムは佗しい。
 このイメージを発展さして、そして考えてみるに、鳶の見えない後楽園スタジアムが存在すると同様に、一羽の小鳥もいない心理風景も存在しよう。そしてこの心理風景は砂漠的精神に属するものである。
 また、同じような話であるが、市内の四辻などに設けてあるロータリー区劃の中には、如何にも風流気に、芝生が植えられ、灌木があしらわれている。そして多くの雑草が芽生えて、思わぬ時に思わぬ花を咲かせている。この雑草の可憐な花が、時あって人の心を惹くことがある。これは自然の恵みだ。――だが逆に、塵埃をかぶり、ガソリンの悪臭をあび、日光に乾ききって、雑草の花一つ咲かぬロータリーは、如何に佗しいものであろうか。
 このイメージから、一茎の花もない心理風景というものが想像される。そしてこの心理風景は砂漠的精神に属するものである。
 砂漠的精神、そこには一羽の小鳥もいず、一茎の花もないが、然しそれでも情熱はあり得る。――そういう精神のことを、今私は考えてみるのである。眼前に浮ぶのは、ジョゼフ・フーシェなる人物である。
 フランス大革命からナポレオン帝政を経て王政復古に至る時代の、影の人物、謎の人物としてのフーシェのことは、いろいろの人に取上げられているが、最も面白いのはステファン・ツワイクのフーシェ伝である。そしてここで私は一種の砂漠の情熱に出逢った。
 ジョゼフ・フーシェの事を想う時、何かしら冷い戦慄を背筋に感ずるのは、彼と同時代の人々ばかりとは限らない。決して表面には立たず、裏面に隠れて策謀を事とし、変貌に変貌を重ね、裏切りに裏切りを重ね、ロベスピエールを陥れ、ナポレオンに悲鳴をあげさせた、この冷血で無節操で無性格な男は、常に疑惧と嫌悪との対象となり得る。
 三十幾歳の血気盛りなるべき頃からして…

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