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高千穂に思う
たかちほにおもう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-24 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 高千穂峰はよい山である。
 霧島神宮駅から、バスで約二十分、霧島神宮前に達する。数軒の簡易な旅館がある。その一軒の店先で、六月上旬の梅雨のはれまの或る日、私はただ一人、登山姿といっても、洋服の上衣をぬぎ、ズボンの裾をまくり、靴を足袋とはきかえ、草鞋をつけ、金剛杖を手にしたに過ぎない。ここから高千穂の頂上まで七キロ半ばかりの道程、普通の足なら六時間で往復されるのだ。
 狭くて深い谿谷の上に架してある神橋を渡り、石段をのぼり、朱塗りの鳥居をくぐり社務所の前を右折すれば、正面が神宮社殿である。その社殿に至る石段の下、警士の哨舎の前を、左へとって登山道である。
 暫くは杉の木立、やがて、暖帯常緑濶葉樹の天然林となる。
 この天然林は、山の中腹以上の広い地域に亘っている。伐採はすべて禁ぜられ、神宮聖域の幽邃な風致が保存せられている。
 濶葉樹の天然林には、柔かな神秘の影がこもる。鬱蒼たる茂みが日の光を濾過して、美妙な明るみを内にはぐくむ。道にはい出してる蚯蚓は、長さ尺余のものがあり、朽葉の間を鰻のように走って、紫色に光っている。掌大の白い翼の蛾が、苔むした樹幹にとまっていて、怪しい幻覚を起させる。
 この山道の感銘には、俗塵を脱した清浄さ以上のものがあり、深い奥行がある。
 東京の街路の中のロータリー、芝草と数株の灌木との僅かな緑地、あの中に、ひらひらと飛んでいる一匹の蝶は、人の微笑を誘う。この種のものを、東京の都市は、各処に数多く持っている。官庁街と事務所街と殷賑街とを除いて、東京が一種の村落都市と云われる所以である。そして近来、村落都市の厚生上及び軍事上の価値が、改めて認識され始めた。然しその東京に於て、上野の山の杉の古木は年々枯死してゆくし、代表的名園たる後楽園の樹木は、保育保存に多くの苦心を要するとかいう。
 これに比ぶれば、城山を持つ鹿児島市の幸福が偲ばれる。域山は史跡として名高いばかりでなく、またその天然林によって特殊である。数百種の樹木、その中には珍種も多く、豊富な種類の歯朶を含む。この天然林に蔽われた城山が、都市の裏手を限って聳えている。
 人間と自然との関係は、もはや往時のそれではなく、自然そのものはもはや存在せず、ただ自然の風景が存するのみだと、そう説かれる。それは真実であればあるほど、吾々は自然に対する一種の郷愁を感ずる。地上の巣に対する空飛ぶ鳥の郷愁だ。
 高千穂山腹の天然林のなかで、都市ははやくも遙か後方に遠ざかる。都市が後方に遠ざかることは、原始へと遡ることだ。
 山道は、谿谷の左岸づたいに上ってゆく。谿谷のなかには、ささやかな流れがある。木の間がくれに見える谿谷は、青苔のはえた岩石で、そのなめらかな岩肌が川床となっている。岩肌の上を流れおちる水は、清冽だが、殆んど音を立てない。
 十和田湖の水をおとす奥入瀬の谿谷は、急湍奇岩で人を魅惑す…

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