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今日の条件
きょうのじょうけん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-07-03 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ごく大雑把にそして極めて素朴に、人間の生活の理想的な在り方を考えてみる。――週に六日、毎日六時間ばかり、何等かの社会的な生産的な勤労に徒事し、それで生計を立て、その他の時間を、随意に自由に使用する。そして勤労によるこの生計は、僅かに生存を維持するだけのような低級なものではなく、必要にして充分な余裕を持つ程度のものであらねばならぬ。随って、其他の時間の任意な使用は、原則的に、報酬を目差すものではなく、各人各種の技能の花を咲かせるものとなる。時間は充分にあり、高度の技能も練磨される。芸術もこの中の花の一つに位置する……。
 以上、理想的な考え方で、今日ではまだ空想の域を脱しない。然しながら、理想は目標であり、ここに理念の基盤を置くべきであろう。同時にまた、目標はそれ自体が吾々へ近寄って来るものではなく、吾々の方からそれへ向って歩いて行かねばならぬもの故、到達までには、努力奮闘の務が吾々に負荷される。ここに今日の条件がある。――芸術もさまざまの花の一つだというのは、遙か彼方の社会に於けることで、現在では、今日の条件がいつも重大に付きまとう。
 そこで、早速に言う。文学は衆人に奉仕してその慰安娯楽となるべきであり、文学者は畢竟戯作者たるべきである、というような説、つまり、現実肯定の幇間的立場、それに私は反対する。反対するばかりでなく、そんなものはすべて下らないと軽蔑する。現在吾々が置かれてる現実そのものが、すばらしく立派なものであるならばとにかく、実に下らないものであるからして、それに阿諛するものはすべて下らないのだ。
 文学が現実の再現であろうとする企図が遂に失敗に終ることは、既に経験ずみである。文学は現実の転位の世界に於ける営みであって、この営みでは、常に現実に対して何かがプラスされる。そのプラスが文学の生命とも言える。近代の文学はそのプラスに眼をつける。近代の文学者はそのプラスに身を投げ込む。小説の批判性や思想性はそこから生ずる。――近頃の小説が如何に評論に近づいているか、如何に多く評論的要素を取り入れているかは、周知の通りである。
 また一方、純然たる評論や論説の形式による建造が、可なり頼りないものであること、殊に社会的変動期に於て頼りないものであることを、多くの人々は感じている。そして小説的思考形式、つまり小説的建造の方が、より多く安定で頼りになるように思われてくる。抽象的な思想的な建造にも、建築物的な堅固さが要望される。二度の大戦の激動によって、多くの信条、多くの信念が、次々に崩壊してゆくのを見た後のことだ。而もまだ戦争の闇雲は晴れていない。その上に原子力時代に突入している。不安な思惟はなるべく堅固な建造形式を模索する。ここに小説が新たな役目を提供する。そしてこの役目から、小説にはまた別種のプラスが付加される。
 右の二種のプラス的要素は、それ自体の性…

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