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国文学の発生(第三稿)
こくぶんがくのはっせい(だいさんこう)
作品ID42613
副題まれびとの意義
まれびとのいぎ
著者折口 信夫
文字遣い旧字旧仮名
底本 「折口信夫全集 第一卷」 中央公論社
1954(昭和29)年10月1日
初出「民俗 第四卷第二號」1929(昭和4年)年1月
入力者野口英司
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2005-02-18 / 2014-09-18
長さの目安約 75 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一 客とまれびとと

客をまれびとと訓ずることは、我が國に文獻の始まつた最初からの事である。從來の語原説では「稀に來る人」の意義から、珍客の意を含んで、まれびとと言うたものとし、其音韻變化が、まらひと・まらうどとなつたものと考へて來てゐる。形成の上から言へば、確かに正しい。けれども、内容――古代人の持つてゐた用語例――は、此語原の含蓄を擴げて見なくては、釋かれないものがある。
我が國の古代、まれの用語例には、「稀」又は「rare」の如く、半否定は含まれては居なかつた。江戸期の戲作類にすら、まれ男など言ふ用法はあるのに、當時の學者既に「珍客」の意と見て、一種の誇張修辭と感じて居た。
うづは尊貴であつて、珍重せられるものゝ義を含む語根であるが、まれは數量・度數に於て、更に少いことを示す同義語である。單に少いばかりでなく、唯一・孤獨などの義が第一のものではあるまいか。「あだなりと名にこそたてれ、櫻花、年にまれなる人も待ちけり(古今集)」など言ふ表現は、平安初期の創意ではあるまい。
まれびとの内容の弛んで居た時代に拘らず、此まれには「唯一」と「尊重」との意義が見えてゐる。「年に」と言ふ語がある爲に、此まれは、つきつめた範圍に狹められて、一囘きりの意になるのである。此「年にまれなり」と言ふ句は、文章上の慣用句を利用したものと見てさしつかへはない樣である。
上代皇族の名に、まろ・まりなどついたものゝあるのは、まれとおなじく、尊・珍の名義を含んでゐるのかと思ふ。繼體天皇の皇子で、倭媛の腹に椀子ノ皇子があり、欽明天皇の皇子にも椀子ノ皇子がある。又、用明天皇の皇子にも當麻公の祖麻呂子ノ皇子がある(以上日本紀)。而も繼體天皇は皇太子勾ノ大兄を呼んで「朕が子麻呂古」と言うて居られる(紀)。此から考へると、子に對して親しみと尊敬とを持つて呼ぶ、まれ系統の語であつたのが、固有名詞化したものであることが考へられる。まれびとも珍客などを言ふよりは、一時的の光來者の義を主にして居るのが古いのである。
くすり師は常のもあれど、珍人の新のくすり師 たふとかりけり。珍しかりけり(佛足石の歌)
つねは、普通・通常などを意味するものと見るよりも、此場合は、常住、或は不斷の義で、新奇の一時的渡來者の對立として用ゐられてゐるのである。まらは、まれの形容屈折である。尊・珍・新などの聯想を伴ふ語であつたことは、此歌によく現れてゐる。
まれと言ふ語の溯れる限りの古い意義に於て、最少の度數の出現又は訪問を示すものであつた事は言はれる。ひとと言ふ語も、人間の意味に固定する前は、神及び繼承者の義があつたらしい。其側から見れば、まれひとは來訪する神と言ふことになる。ひとに就て今一段推測し易い考へは、人にして神なるものを表すことがあつたとするのである。人の扮した神なるが故にひとと稱したとするのである。
私は…

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