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風と光と二十の私と
かぜとひかりとはたちのわたしと
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集4」 ちくま文庫、筑摩書房
1990(平成2)年3月27日
初出「文芸 第四巻第一号(新春号)」1947(昭和22)年1月1日
入力者砂場清隆
校正者伊藤時也
公開 / 更新2006-01-29 / 2014-09-18
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は放校されたり、落第したり、中学を卒業したのは二十の年であった。十八のとき父が死んで、残されたのは借金だけということが分って、私達は長屋へ住むようになった。お前みたいな学業の嫌いな奴が大学などへ入学しても仕方がなかろう、という周囲の説で、尤も別に大学へ入学するなという命令ではなかったけれども、尤もな話であるから、私は働くことにした。小学校の代用教員になったのである。
 私は性来放縦で、人の命令に服すということが性格的にできない。私は幼稚園の時からサボることを覚えたもので、中学の頃は出席日数の半分はサボった。教科書などは学校の机の中へ入れたまま、手ぶらで通学して休んでいたので、休んで映画を見るとか、そんなわけではない。故郷の中学では浜の砂丘の松林にねころんで海と空をボンヤリ眺めていただけで、別段、小説などを読んでいたわけでもない。全然ムダなことをしていたので、これは私の生涯の宿命だ。田舎の中学を追いだされて、東京の不良少年の集る中学へ入学して、そこでも私が欠席の筆頭であったが、やっぱり映画を見に行くなどということは稀で、学校の裏の墓地や雑司ヶ谷の墓地の奥の囚人墓地という木立にかこまれた一段歩ほどの草原でねころんでいた。私がここにねころんでいるのはいつものことで、学校をサボる私の仲間はここへ私を探しにきたものだ。Sというそのころ有名なボクサーが同級生で、学校を休んで拳闘のグラブをもってやってきて、この草原で拳闘の練習をしたこともあるが、私は当時から胃が弱くて、胃をやられると一ぺんにノビてしまうので、拳闘はやらなかった。この草原の木の陰は湿地で蛇が多いのでボクサーは蛇をつかまえて売るのだと云って持ち帰ったが、あるとき彼の家へ遊びに行ったら、机のヒキダシへ蛇を飼っていた。ある日、囚人墓地でボクサーが蛇を見つけ、飛びかかってシッポをつかんでぶら下げた。ぶら下げたとたんに蝮と気がついて、彼は急に恐怖のために殺気立って狂ったような真剣さで蛇をクルクルふりまわし始めたが、五分間も唸り声ひとつ立てずにふり廻していたものだ。それから蛇を大地へ叩きつけて、頭をふみつぶしたが、冗談じゃないぜ、蝮にかまれて囚人墓地でオダブツなんて笑い話にもならねえ、と呟きながらこくめいに頭を踏みつぶしていたのを妙に今もはっきり覚えている。
 私はこの男にたのまれて飜訳をやったことがある。この男は中学時代から諸方の雑誌へボクシングの雑文を書いていたが、私にボクシング小説の飜訳をさせて「新青年」へのせた。「人心収攬術」というので、これは私の訳したものなのである。原稿料は一枚三円でお前に半分やると云っていたが、その後言を左右にして私に一文もくれなかった。私が後日物を書いて原稿料を貰うようになっても、一流の雑誌でも二円とかせいぜい二円五十銭で、私が三円の稿料を貰ったのは文筆生活十五年ぐらいの後のことであ…

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